part1より続く
昨年の12月に行ったバスケットのメディア座談会のテーマは『未来のスターを探せ』――現役大学生として、唯一名前が挙がった盛實には「のびのびとしていて華がある」、「(ディフェンスに対する)上下の駆け引きが巧い」、「この先を見たくなる選手」などの声が集まった。この座談会が開かれたのは盛實が“特別指定選手”の肩書を持つ前だったが、「専修大にいい選手がいる」という噂はそれよりも早く耳に届いていた。「見ていておもしろいぞ」、「魅せるプレーをするぞ」と。
「能力任せではない“巧さ”がある選手が好きです」
── 高校時代、佐藤監督から求められていたのはどんなことですか?
特別これだけはやれとか、そういうことは言われませんでした。今、当時の自分を振り返ってみると、1年生のときはただのシューターという感じだったんですが、2年、3年と年を重ねるにつれて1番から3番までプレーの幅が広がっていったように思います。そうなりたいと自分で意識していたところはありますね。
── 下級生のころはなかなか出番がなかったですが。
はい。唯一それは辛かったです。メンバーに入れなくてサポーターとして(試合に)帯同するのは結構辛いものがありました。2年生になってもちょっとずつしか使ってもらえなかったし、一時期スタメンになったこともあるんですが、それもすぐ外されて…。
── ところが3年になるとキャプテンを任されて、スタメンに定着!
そうなんですよ。激変しました(笑)。よく「キャプテンは大変だった?」と聞かれますけど、能代工の場合、マネジャーがすごくしっかりしてて細かいことは全てやってくれるのでキャプテンといってもそれほど大変じゃないんです。自分はあんまりキャプテンには向いてないんじゃないかなと思っていましたが、有能なマネジャーに助けられました。
── 『向いていない』というのとは違いますが、能代工の名前で思い浮かぶのは伝家の宝刀と言われたオールコートプレス、どこまでもボールに食らいつく泥臭いイメージがあります。モリザネセクシーのスマートなイメージとは違うと言われることはありませんか?
言われますね。しょっちゅう言われます。けど、それはあくまでイメージなので、自分ではよくわかりません。ただ言えるのは能代で過ごした3年間があったから今の自分があるということです。能代工は学校全体でバスケ部を応援してくれましたし、もっと言えば能代という町全体で応援してくれているのを感じました。すれ違ったおばさんに「応援してるよ」と言われたり、通りすがりのおじさんが「頑張れ」と声をかけてくれたり、そういう能代ならではの温かい空気の中でバスケットができたのは幸せだったと思います。