part1より続く
ケガに泣き、ケガを乗り越えた先に『プロの道』があった
東海大に入り、ベンドラメ礼生と初めて顔を合わせた日のことを小島は今もよく覚えている。「あいつは延学(延岡学園高校)で3冠取った選手だし、こっちはもちろん知ってたけどしゃべるのは初めてでした。そしたら『俺、延学だしー』みたいなのは全然なくて、普通にすごくいいヤツだった(笑)。あと、うちの兄ちゃんと笑いのツボがそっくりで、しゃべってるうちに絶対こいつとは仲良くなるなあと思いましたね。それはもう初日のそのときに確信しました(笑)」。以来、ベンドラメは小島にとって選手としての指標となり、ライバルとなり、勝利を目指す同士となる。「2人で1対1の練習をやっても、僕は自分が勝つまでもう1回、もう1回と言ってやめないので、延々に続くという(笑)。でも、それにあいつはいつも付き合ってくれる。同期にあいつがいたのはめちゃくちゃ大きかったです」“末っ子気質”と言うのだろうか、変に構えることなく、ごく自然に相手の懐に入って行ける小島の性格は先輩たちからも可愛がられた。練習はハードだが、「オフコートでは笑いが絶えなかった」と言う。「自分で言うのは何ですけど、高校までのチームは自分が中心というか、自分が頑張らなきゃというのが常にあったんですね。でも、東海ではみんなが一緒になって頑張るって感じで、よっしゃあ、みんなで行くぞー!みたいな。その雰囲気がすごく好きでした。みんなといるだけで楽しかったです」
むろん日々の練習の中で選手としての学んだことは多い。「たとえば(田中)大貴さんはやっぱりすごい選手で、巧いのは前からわかってましたけど、一緒に練習するとそのすごさがより伝わってくるんですね。ディフェンスなんか本当にヤバくて、それもまた自分の目標になりました。大貴さんのほかにも周りに巧い人がいっぱいいたから、そこで揉まれたことは間違いなく自分の成長につながったと思います。『自分を磨くのには申し分ないチーム』と言った父ちゃんの言葉は本当にそのとおりでした」
しかし、すべてが順風満帆だったわけではない。練習中に膝の半月板損傷という大ケガを負ったのは2年生になって間もない春だった。「自分でも調子がいいなあと思っていて、今年はチャンスの年にしたいと意気込んでいた矢先でした」。完全復帰まで1年近くかかると聞いたときは一瞬頭が真っ白になったが「心は折れなかった」と言う。「だって、みんながすごく優しいんですよ。リクさん(陸川監督)はわざわざ僕のために同じケガから復帰した本田圭佑(サッカー)のビデオを持って来てくれるし、リハビリ中も頑張れ!とか、待ってるぞ!とかみんなが声かけてくれるし。俺、代表に入っているような期待の選手でもないのになあって。ほんと、あのときはみんなの温かさが沁みました」
手元にある東海大学バスケットボール創部55年記念誌を開くと、大学4年間の思い出として小島はこんな言葉を寄せている。『僕が大ケガをしたとき、陸さんをはじめみんなが僕を見捨てなかったことが1番心に残っています。あそこでダメになっていたら今の自分はないですから』。