part1より続く
バスケットに苦しみ、バスケットに救われた1年
進学する大学として東海大を意識したのは高校3年になって間もないころだ。
「これを言うと笑われるかもしれないんですけど、きっかけは東海大のユニフォームを見てかっこいいなあと思ったことです。自分もあのユニフォームを着てみたいなあって。それでいろいろ調べたりしたら、東海大はレベルが高くて実績もあるし、施設なんかも充実していて、ここでなら自分が成長できるような気がしました。それで北郷先生(延岡学園監督)にも東海大に進みたいという思いを伝えたんです。しばらくして北郷先生が能代カップで陸川先生(東海大監督)と偶然会って、そこで僕の話をしてくれたみたいなんですね。運が良かったのか、縁があったのか、それで話がトントンと進んで東海大に入ることが決まりました。自分の気持ちはずっと東海大一本で、他の大学は考えていなかったから希望が叶ってすごく嬉しかったです。ただ、僕が入った年から気に入ってたユニフォームが変わっちゃったんですけど(笑)」
さらなるステップアップを目指して宮崎から神奈川へ。開いた3つ目の扉の向こうはベンドラメにとって目新しいことだらけの世界だった。移動するのに自転車が欲しくなるほど広いキャンパス、充実した設備のトレーニングルーム、個室にバス、トイレ、簡易キッチンが完備した寮、肝心のバスケット部の練習は想像していた以上にレベルが高く「ラントレをやるのも生まれて初めてだったし、全ての面で高校とは大違いでした」
入部と同時にコンバートした1番ポジションではスキルの足らなさを痛感した。フォーメーションが多い東海大ではポイントガードがボールを保持する時間が長く、ゆえに安定したキープ力が求められる。1番にコンバートされてしばらくはミスも目立ち、「自分がチームの足を引っ張っているような気持ちになることも多かったです」。今も強烈な思い出として残るのは青山学院大と対戦した春のトーナメント決勝だ。最後まで予断を許さぬ白熱戦となったが、残り1分を切った場面でベンドラメが手にしたボールがスティールされ、それが青学大の決勝点につながった。自分のミスで優勝を逃した…という思いは重くのしかかり、しばらく消えることはなかったという。