苦しい日々の始まりは挑戦への始まりでもある
プロ3年目にして初めて開幕からスタメンポイントガードの座を勝ち取った岡本。チームもシーズン序盤は連勝を重ねるなど、目標のB1昇格に向けて最高の滑り出しを見せていた。しかし中盤以降、ケガ人が続出したこともあり、徐々にコンビネーションでのずれが生じ、思うように勝利数を伸ばしていけなくなっていった。
「ケガ人が出たり、外国籍選手が代わったりして、チームとしてやってきたことが選手の特徴によって変わるなど、そうした些細なずれが結果的に負けにつながったケースがここ何試合か多いんです。そのなかで必要なのは練習からのコミュニケーションだと思いますし、チームとしての理解度が足りていないところがあったので、そのへんの難しさは今感じているところです」
B.LEAGUE以前のリーグでもシーズン途中に外国籍選手が入れ替わることはあったが、B.LEAGUEになってからそれがより顕著になってきたように思える。むろんフロントとしてはケガをした選手や、力を発揮できない選手をカバーする意味で新たな選手を獲得しているのだろう。それは十分に理解できる。しかしいくらNBA経験のある選手を獲得しても――これは広島に途中加入したカール・ランドリーを意味するのではなく、一般論として――、それだけでは大きな戦力アップとはならない。彼らと、以前からチームにいる選手たちの融合があってこその戦力アップ、チーム力アップとなりうる。岡本自身も「(外国籍選手が新たに加わると)こんなにも変わるんだなぁって、やりながら感じましたね」と言っている。それだけバスケットボールというダイナミックなスポーツには繊細さも含まれているのだ。
そうした難しさを感じながら、岡本は取材の翌週、山形戦の第2戦で開幕戦から守り抜いてきたスタメンポイントガードの座を明け渡した。「いつまでもバックアップに甘んじている場合ではない、チームを勝たせる選手になりたい」と言っていた岡本にとっては苦しい日々の始まりかもしれない。
それでも岡本が向けるベクトルは常に自分自身にある。それまでの自分に何が足りなくて、何をすればスタメンポイントガードとしての信頼を勝ち取り、チームを勝利に導けるのか。そのための努力であれば惜しむことはしない。これまでのように、これからも岡本の挑戦に終わりはないのだ。
岡本は最後に盟友、ベンドラメ礼生の名を出し「礼生はB1にずっとい続ける選手だと思うので、早くあいつに追いついて、カモってやりたい」と自分自身の目標を語った。そして、ふと思い出したように言い換える。
「いや、あいつだけじゃないですね。早くB1に上がってクセの強い93年組をカモってやりたいですね」
岡本飛竜が生まれた1993年生まれにはベンドラメをはじめ、富樫勇樹(千葉ジェッツ)、小島元基(アルバルク東京)、田渡凌(横浜ビー・コルセアーズ)といったクセのある、しかし今後のB.LEAGUEを引っ張っていくライバルガードがいる。
part1【B.LEAGUEで活躍する誰よりも応援席での時間は長かった】
part2【ベンドラメ礼生のひたむきさに触れて】
文・写真 三上太