Bリーグが誕生して3年。リーグ発足時にプロ選手としてデビューした選手たちはいわばBリーグと同い年だ。Bリーグとともにプロのキャリアを積んできた彼らを訪ね、コートに立つ“今”と歩んできた道のりについて話を聞いた。
part1より続く
ケガに泣いた大学時代「それでも得たものはたくさんありました」
進んだ東海大の当時のキャプテンは狩野祐介(滋賀レイクスターズ)、3年生には田中大貴(アルバルク東京)、須田侑太郎(琉球ゴールデンキングス)、2年生にはザック・バランスキー(アルバルク東京)、晴山ケビン(京都ハンナリーズ)、藤永佳昭(千葉ジェッツ)、同期にはベンドラメ礼生(サンロッカーズ渋谷)、小島元基(アルバルク東京)、頓宮裕人(京都ハンナリーズ)など有力選手が顔を揃え、在籍した4年間で関東大学バスケットボール選手権(2回)、関東大学バスケットボールリーグ戦(3回)、全日本大学バスケットボール選手権(2回)の優勝に輝いている。しかし、橋本個人について言えば、輝かしい栄光の陰で「ケガに泣いた4年間でもありました」
新人戦優勝という幸先のいいスタートを切った1年生の夏、足に激痛を覚えた。
「日本代表の合宿に呼んでもらっていたんですが、脛の部分が徐々に痛くなってきたんです。かなり痛かったんですけどチームの中で1番年下だったこともあり、なかなか言い出せなかったんですね、で、そのまま我慢して練習してたらどんどん痛みが増して、ついに歩けなくなっちゃったんです。レントゲンを撮ったら疲労骨折してました。完治まで2ヶ月ぐらいかかって、秋の大学リーグにも出られず。それがものすごく悔しかったです」
ところが、今年こそ頑張ろうと闘志満々で迎えた2年生のリーグ戦ではなんと初戦で手の親指の付け根を骨折して全治3ヶ月と診断される。
「リーグ戦の初戦、それも試合開始直後ですからショックも大きかったです。だけど、手以外は普通に動かせたので、毎日走っていたし、下半身を鍛えるトレーニングを続けていました。とにかく走って、走って、ちょっと心が折れそうになるぐらい走って、あれはきつかった。自分でも本当によく頑張ったと思いますね(笑)」
3年生になった年はスタート時から絶好調だった。
「最高にコンディションが良くて毎試合二桁得点してたぐらい好調だったんですよ。よっしゃー、今までコートを離れてた分もやってやるぞってテンションも上がってたんですけど、今から思うとそういうときこそ気をつけなきゃいけなかったんですよね」
リーグ戦の中盤で右足を骨折。即時入院し、その年のインカレ出場は絶望となった。
「なんで俺ばっかり…と思いましたね。インカレは3連覇が懸かっていたし、チームにも迷惑をかけるし、みんながリーグ戦を戦っているとき自分だけ病院のベッドの上にいて、無力感というんでしょうか。何もできないことがつらかったです」