4月26日、川崎ブレイブサンダースのニック・ファジーカスが日本に帰化したことが発表された。来日したのは6年前(2012年〜2013年シーズン)、前年度最下位だった東芝ブレイブサンダースを準優勝に牽引する立役者となり、その年のNBLベスト5を受賞。その後もリーグのトップスコアラーとして数々の記録を残し、昨年はBリーグ初代得点王、ベスト5、年間MVPに輝いた。今や日本のバスケットボールファンの誰もが知るトッププレーヤーの帰化が今後の日本のバスケット界にどんな影響をもたらすのか。大詰めを迎えたBリーグの戦局、日本代表入りの可能性を考えるうえでも興味は深まる一方だ。
日本国籍を取得する決断について
今回の帰化にあたり、彼が最初に明言したのは、それが「自分の強い意志、強い思いからの決断だった」ということだ。
「帰化しませんか?という話があったわけではありません。あくまで自分が帰化したいと考え、クラブや家族に相談したうえで決断したことです。理由はシンプルに日本が大好きだから。幸い両親も妻も私が日本に帰化したいという強い気持ちを理解してくれて、最初からサポートしてくれました」
来日する以前、ベルギー、フランス、フィリピンでプレーした経歴を持つが、チームのスタイルと合わなかったヨーロッパの生活は「あまり思い出したくない」と顔を曇らせる。キャリアを積む意味で有効な時間だったとは言えず、思い悩むことも多かったようだ。その後のフィリピン時代は「自分のバスケットをリニューアルでき、プレーすることを楽しめた」と、振り返るが、それにも増して充実していたのは日本での日々だった。
「来日したその日から日本のことが気に入りました。東芝は私を心から歓迎して、いろいろな面で良くしてくれたし、ファンの皆さんも誰もが温かかった。もちろんチームメイトたちも親切ですぐに打ち解けることができました」
当初は「こんなに長く滞在することになるとは考えてもみなかった」と言うが、年を重ねるごとに日本が好きになり、いつしか「ここが自分の第2のホームだ」と思うようになった。シーホース三河で17年プレーしている桜木ジェイアールを指して「1つのチームに10年以上いるのはすばらしいこと。僕も第2のジェイアールになれればいいな」と、語っていたことがあるが、そのときにはすでに『帰化』という選択を本気で考え始めていたのかもしれない。意志を固め、帰化の手続きに着手したのは昨シーズン終了後だった。
「日本にやって来た妻が私と同じように日本を気にいってくれたのも大きかったです。手続きにはいろいろ大変なこともあり、正直、長い道のりだと感じましたが、それだけに帰化が認められたときはうれしかった。山科(朋史)マネジャーから官報に載った(正式に帰化を認められた証)と連絡が入ったときは、努力してきたことが報われた大きな達成感がありました」
日本代表について
日本国籍を取得したことで日本代表チームに選出される資格も得た。1人だけ許される『帰化枠』には現時点でアイラ・ブラウン(琉球ゴールデンキングス)の名前があるが、未だ白星がないFIBAワールドカップアジア地区予選window3に向けて新たに招集される可能性は高い。
「協会とか代表チームから連絡をもらったわけではないが、もし(日本代表チームに)呼ばれることがあったとすれば、それは自分にとってとても光栄なことだと思っています。そのチャンスを得られたなら、全力で頑張るつもりです」
今後の呼び名について
今年の3月に第一子となる長男ハドソンくんが誕生した。ミドルネームに選んだのは”カイト”という日本の名前。そこで「あなたも桜木ジェイアール選手のように日本の名前を付ける考えはありますか?」と尋ねると、「日本の名前を付けるオプションはありますが、私はニック・ファジーカスのままでいきたいと思います。みなさんにはこれからもそう呼んでもらいたい」と、笑った。
今後の課題の1つは「日本語の上達」
“ニック・ファジーカス”の呼び名はそのまま。だが、日本人のニック・ファジーカスになるため日本語の勉強は続けている。すでに簡単な日本語なら理解できるようになり、チームメイトには自分から進んで日本語で声をかけることも増えた。新しい外国籍選手が入ってきたときは自らパイプ役を買って出て、気がついたことがあれば丁寧にアドバイスもする。
「日本語をもっと上手になりたいですね。勉強はずっと続けていますが、ほんと、日本語は難しいです(笑)。でも、いつかメディアのインタビューにも日本語で答えられるようになりたい。それが課題であり夢でもあります」
愛され、信頼される存在
長年に渡りチームの通訳として多くの外国籍選手と接してきた大島頼昌氏はファジーカスを「明るくてまじめな男」と評する。「常にチームのことを考えている選手なので周りからの信頼も厚いです」。東芝に加入した当初から「我々はリーグで優勝できるチームを目指そう」と言い続け、率先して”努力する姿”を示してきた。NBLラストシーズンのファイナル(先に3勝した方が優勝)でアイシンシーホース三河にいきなり2連敗を喫したときも「絶対あきらめるな!とチームを鼓舞してくれたのはニックだった」(篠山竜青)。コートの外では陽気な性格でみんなを笑わせ「一緒にいるとすごく楽しい」と言うのは藤井祐眞。これらの言葉から伝わるのはニック・ファジーカスの人間性だ。今回彼が決断した『帰化』という選択は、当然チーム全員から大歓迎されたが、それは単に頼りになる戦力だからではなく、彼が愛される存在であることの証だろう。川崎のホームコートから、さらには全国のバスケットファンから「ようこそ、ニック!」の声が聞こえるような気がする。
ニック・ファジーカス
1985年6月17日、アメリカ合衆国出身
210cm/111kg
略歴:ネバダ大学→ダラス・マーベリックス(NBA)
→ロサンゼルス・クリッパーズ(NBA)
→ベースオーステンデ(ベルギー)
→ASVELリヨンビラーバン(フランス)
→JDA・ディジョンボールゴーン(フランス)
→リノ・ビッグホーンズ(NBDL)
→ペトローン・ブレーズ・ブースター(フィリピン)
→サン・ミゲル・ビアーメン(アセアンリーグ)
→東芝ブレイブサンダース(2012〜現・川崎ブレイブサンダース)
文・松原貴実 写真・安井麻実