京北中学から京北高校と名門の道を歩き、その後自らの意思でアメリカに渡った田渡凌。大学卒業後は帰国し、Bリーグで戦う道を選んだ。横浜ビー・コルセアーズのニューフェイスとしてコートに立つ田渡が語る「これまでの自分」と「これからの自分」――バスケットボールスピリッツ#11に掲載しきれなかったインタビューを紹介しよう。
――バスケットを始めたのは3歳からと聞きましたが、その後、他のスポーツをやろうと考えたことはなかったのですか?
なかったですね。実は3歳のときにバスケットと同時に水泳も始めたんです。でも、なんていうか、水泳は途中から適当になっちゃって、小4ぐらいに辞めたんですよね。その間もバスケはずっと真剣にやってて、バスケ以外のスポーツをやりたいとは考えなかったです。
――2人のお兄さんとは小さいころからバスケットをやっていたようですが、お父さんから指導を受けることは?
全然ありませんでした。小さいころは遊びの延長でやっていた感じですから、もちろん1対1とかになると自分はムキになってましたが(笑)、父親は何も言わなかったし、ただ笑って見てただけです。
――高校卒業後、アメリカに行きたいということは、まずお父さんに相談したのですか?
いえ、それがなかなか言い出せなくて。なんだか最初は言い辛かったんですよ。で、そのころ下の兄(修人・三遠ネオフェニックス)が筑波大に行ってて、あまり家には帰ってこなかったんですけど、たまたま帰ってきたときに「おまえ、高校卒業したらどうすんだよ。筑波に来たいと思ってるの?」と聞かれて、「実は俺、アメリカに行きたいんだよね」って初めて話したんです。「でも、まだこのことはお父さんには言わないでね」と言ったのに、あっさり話しちゃったみたいで(笑)、すぐに父親に呼ばれました。それが高2のウインターカップ前です。
――お父さんはなんと?
いきなり「おまえ、アメリカに行きたいのか?」と聞かれ、行きたいと答えたら「わかった、じゃあウインターカップで『田渡凌はこうだ』というものを見せられたら行ってもいい」と言われました。で、頑張って、ウインターカップは3位になり、自分もベスト5に選ばれたのでOKが出たわけです。そこから向こうの学校を調べ、英語の勉強も始めました。
――初めての挑戦ですね。
そうです。今まで、というか日本にいるとあまり挑戦とかすることがないじゃないですか。アメリカという未知の国で、わからない相手と戦って、コテンパンにされるかもしれないけど、それでも自分がどこまでできるか、自分のレベルを知ることもできるし、いろんな意味で挑戦でした。
――決して順風満帆ではなく、苦しいことも多かったと思いますが、その分得るものも大きかった?
大きかったですね。1番苦しかったのは入学するはずだった学校にいろんな事情から突然入れなくなってしまったことで、行く場所がないまま浪人生活を送ったときなんですけど、そのときはさすがに不安で1人で泣くこともありました。でも、アフリカの選手と知り合いになって、彼は国の代表にも選ばれているぐらいでバスケもすごくうまいんですけど、その彼と話してたら、自分の国で練習してるのは公園のコートだというんです。代表レベルの選手なのに公園で練習するなんて日本じゃあり得ないじゃないですか。そのとき、自分は今までどんだけ恵まれてたんだ、それを考えたら今(浪人生活)の環境がどうこう言ってらんないと思って。そっから自分の考えが変わりました。実際に自分の目で見て、経験したからわかったことはいっぱいあって、アメリカに行って得るものは大きかったと思います。
――向こうの選手と一緒にプレーして「やっぱり敵わないな」と思ったことは?
何度もありますよ。そのたびクソォと思って、また頑張る。敵わないなと思う人と出会ったってことは、そっから自分がどう努力してどこまでレベルアップできるかってことだと思うんですよ。そのために出会ったんだから、そっからがスタートだと思ってやってました。
――渡邊雄太選手(ジョージ・ワシントン大)がアメリカに行く前に相談に乗ったとも聞きました。
あれは雄太がまだアメリカに行くとか全然考えていなかったころですね。電話で結構長いこと話して「アメリカに来いよ」と誘いました。雄太、今、頑張ってますよね。(八村)塁もそう。ゴンザガ大で頑張ってますが、去年1年間試合に出られなかったというのを聞いて、日本では「なんだ試合に出られないのか」と思った人もいたんじゃないかと思うんですよ。でも、僕は向こうのレベルがわかるから「そりゃ当然でしょ」と思う。1年目に試合に出る、出ないじゃなくて、あの環境の中で塁が頑張ってることに意味があるんです。雄太はすでに活躍しているし、塁もきっとこれから活躍の場を広げていくだろうし、2人があそこで頑張っていることは、もうね、すごく大きなことだと思うんですよ。僕はめちゃくちゃ応援してます。
――帰国してU24の日本代表メンバーにも選出されました。久しぶりに日本の同年代の選手たちとプレーした感想は?
みんな普通にうまいと思いますよ。自分がこの4、5年アメリカで経験してきたバスケとは違うので、多分しばらくは手こずると思いますが、早く日本のバスケにアジャストしていきたいです。みんなが「向こう(アメリカ)はどうだった?」とか「どんな練習してたの?」とかいっぱい聞いてくるんで「じゃあ、ちょっと一緒にやってみる?」っていう流れにもなったりして、そういうことはすごく大事だと思うんですよね。自分がアメリカで経験してきたことを伝えるのは自分の役目だと思っています。アメリカに行ったから俺の方がうまいなんて全然思ってないし、そんな簡単なことじゃないし。ただアメリカで得たものはたくさんあるから、そこでは負けていないという気持ちはあります。
――チームの雰囲気もいいですね。
はい、みんないいヤツばっかりです。僕は仲間に恵まれていて、このチームのメンバーもそうですが、(富樫)勇樹や(安藤)誓哉とは10年以上のつきあいになるからいろいろ教えてもらえる。そういう仲間が周りにいることは本当にありがたいです。
――これからBリーグの舞台に立ち、3年後の東京オリンピックも目指すわけですが、そのために自分が身に付けていきたいものは?
うーん、正直に言っていいですか?全部です。シュート力だったり、ドリブルの突破力だったり、ディフェンス力だったり、もう全部ですね。よく日本にはビッグマンがいないと言われますが、じゃあガード陣で勝てるかと言えばそうでもない。良くて同レベルという感じです。僕はそこ(ガード力)でアドバンテージが取れる選手になりたいんですね。そのためには全ての面でもっともっとうまくなっていかないと。今はまだこれだけは誰にも負けないというものが自分にはないので。
――外から見た日本の長所はどんなところですか?
ルカ(パヴィチェヴィッチテクニカルアドバイザー)さんもおっしゃっていましたが、日本人の強みは勤勉さだと思います。アメリカから日本の文化を見たとき改めてそう思いました。コーチに言われたことを徹底してやるというのは他の国の選手と比べても断然上だし、多分世界でもトップレベルなんじゃないでしょうか。だから、上辺だけで、アメリカ、アメリカと言ってるんじゃなくて、そういう日本の強みを発揮して、尚かつ応用力をつけていけば世界で戦う力は必ず付いてくると思っています。
――昨シーズン、Bリーグの試合を見る機会はありましか?
ファイナルは見に行きました。やっぱり昔見たファイナルよりお客さんが入っていたし、盛り上がり方も違いましたね。エラそうですが、選手個々のレベルも上がっている印象を受けました。見ていてとてもおもしろかったです。
――秋からはその舞台に立つわけです。
そうですね。楽しみです。アメリカの5年間はもっともっとうまくなりたいと思い続けた5年間だったし、同時にこのままじゃだめだと自分に言い聞かせ続けた5年間でした。その中で最大限の努力はしてきたつもりだし、そういう努力があたりまえにできるようになったと思います。だから、舞台が変わってもやることは同じ。ここからまた自分の挑戦が始まると思うので、一歩ずつ努力を重ねていきます。
文・松原貴実 写真・安井麻実