彼らのために 何かをしてあげたい
1年目の惨敗を終え、北は当然クビになるものと覚悟していた。
伝統あるチームを最下位に落としてしまったのだから、そう考えてもおかしくはない。しかし会社の出した結論は「継続」。ならば次こそは結果を残さなければいけない。北はさまざまな提案をした。ベースはディフェンシブなチームだが、やはり得点が取れないことにはゲームに勝つことはできない。そう考えて青山学院大学でシューターとして活躍していた辻直人をリクルートし、さらに外国籍の選手の得点力も求めて、ASEANリーグでプレーしていたニック・ファジーカスに白羽の矢を立てた。
今なおチームの柱となる2人を同時に獲得した東芝はその年のリーグ戦で準優勝を果たすと、翌年にはリーグ制覇。その次の年こそケガ人が続出し、プレーオフ初戦で敗れているが、NBLのラストシーズンとなる15-16シーズンを制し、Bリーグ元年の16-17シーズンにもリーグ準優勝という好成績を残している。
それはけっして辻とファジーカスが加入したからだけではなく、2年目以降、北が選手の側に降りていったからでもある。みずから話を聞こうとすることでチームとしての調和も取れてきたのだ。
現役時代はスコアラーとしてチームをけん引していた北だが、意外にも当時から「自分が犠牲になることをどれだけやれるかということを考えていました。自分が、自分がと前掛かりになるのではなく、自分が犠牲になってでもチームが勝つためには、という思いが常にありました」と言う。自分の得点がゼロでもチームが勝てばいいという考えだったのだ。
そうしたチームのために、誰かのためにという思いは、ヘッドコーチになった今も変わらない。
「僕は古い人間で、自分の中に何か義理人情というものがあるのかな。だから今シーズンは(オーナーとして最後のシーズンとなる)東芝のためにというのもありますし、今の川崎には僕が誘った選手がたくさんいます。コーチやスタッフも僕が誘って、みんな来てくれているので、彼らのために何かしてあげたいというところが一番ですね」
名選手、名監督にあらずとは、名選手がそのまま名監督になれるわけではないことを示すものだ。名選手であっても、さまざまな経験を重ね、それを熟成させることで名監督への道は拓かれていく。1年目の苦い経験を経て、それでもなお選手のため、チームのためを思える北卓也もまた名監督への道を一途に歩んでいる。
文 三上太
写真 吉田宗彦