また仙台という自らの故郷についても、もちろん愛着はあったが、深い愛情を表に出すこともなかった。
「仙台は東北の中では大きい街、中核都市ですが、あまり『仙台、仙台』って言わないんですよね。関西や九州、名古屋の人たちと比べると控えめで、それほど郷土愛を前面に押し出さないんです」
その考えが東日本大震災を境にして180度変わる。「この街のために頑張ろう」、「この街のためにプレーしよう」と胸に刻んで、コートに立つようになったのである。
「あの地震が起きて以降、僕は一人の人間として自分の故郷にどのような恩返しができるのか、震災から復興していく中で、自分がどう影響を与えられるかを考えるようになりました。そしてまずはプレーし続けることだと思ったんですね」
そのシーズンはチームの活動停止を受け、琉球ゴールデンキングスに期限付き移籍をしてプレー。翌シーズン仙台に戻って、引退する2017-18シーズンまでプレーを続けた。
「ナイナーズの試合を見たいときに見られなかったり、本当は地震のあった翌週に見に来ようとしていた子どもが見られなくなったり、家がなくなったりした子もいたなかで、自分には元気な体があり、バスケットができていたので、それをやり続けなければいけないなと。地元の選手ですし、仙台に育てられたと思っているので、仙台のため、宮城のためにプレーする思いで現役時代はやっていました」
2013年、プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルス(以下、楽天)が球団史上初のパリーグ制覇、日本シリーズでも優勝し、復興の一歩を踏み出していた街を一気に盛り上げた。その楽天が復興のシンボルのひとつとして仙台のなかで存在感を一気に増していくさまを志村は目の当たりにした。
「阪神淡路大震災のあとにオリックス・ブルーウェーブが優勝したこともそうですし、スポーツが街やコミュニティーに与えるインパクトが大きいことを伝えるいくつかの事例があったので、それを僕はバスケットでやろうと考えていたんです。勝つことがこの街の希望だと思ってプレーしていました」
宮城県人として、仙台人として、宮城の人たちのために、仙台の人たちのためにバスケットをしよう。勝とう。その思いは現役を退いた今も変わらない。