bjリーグオールスターゲーム後のインタビューは、帰る支度を済ませた選手をミックスゾーンでつかまえて、話を聞く段取りとなっている。いの一番にロッカールームから出て来たのは太田敦也であった。待ち構える取材陣と目線を合わせないようにし、オールスター選手というオーラを消しながら、明らかに足早に立ち去ろうとしていた。彼の性格から言って、「僕なんかに聞くことないでしょ」と思っているに違いない。しかし、もうひとつ急いでいる理由があった。その答えは後ほど明かすとしよう。
日本代表経験後、平均2点台だったオフェンス力が向上中
206cmの恵まれた体格を持ち、bjリーガーとして唯一の日本代表でもある太田敦也に対するイメージは、外国人を相手に体を張ったディフェンスは良いが、オフェンスはサッパリ。とはいえ、一芸に秀でていれば良いのがプロ選手。日本代表選考時、鈴木貴美一HCは「bjリーグの中で目立っており、体が強く成長しているビッグマン」と評価。
成長と言う点では、サッパリという印象を持っていたオフェンス力が、少しずつだが進化を見せている。
チームとしてJBLラストシーズンとなった2007-2008シーズンにOSGフェニックスへ入団。その年は、ほとんどプレイタイムを与えられない日々を過ごしたが、bjリーグにチームが移籍すると状況は一転する。先発出場こそ3試合に留まったが、2008-2009シーズンは全52試合に出場し、試合時間も平均17分と大幅アップ。続く2009-2010シーズンは19試合で先発を務め、さらなる実績を積む。しかし、2010-2011シーズンまでの3シーズンにおける平均得点は、どれも2点台(2.6点、2.1点、2.9点)に留まり、やはりオフェンスはサッパリであった。この年までは──。
2011年になると、bjリーグ選手にも日本代表の門戸が開き、当時島根でプレイしていた石崎 巧(現在ドイツでプレイ)とともに日本代表に選出される。浜松同様にディフェンスや体を張って味方を生かすプレイが求められ、自分の仕事を全うした。しかし、その後のシーズンでは、オフェンスに対して積極性が出始める。それは数字にも表れており、2011-2012シーズンは前シーズンより倍となる平均5.7点と大きな進歩を見せた。
この年の変化と言えば日本代表に選ばれたこと、そして中村和雄HC(現秋田)から河合竜児HCに指揮官が変更となった点が挙げられる。つまり、中村HCの呪縛から解き放てたことが大きな要因なのではないか?
「ないない、全く関係ないですっ!もともと課題であったディフェンスが段々できるようになってきたので、今度はもっとオフェンスにフォーカスして行かないといけないと思って取り組んでいます。でも、そう言ってもらえると、少しは良くなって来ているのかなと思います」。
今シーズンの前半戦を終えた時点で、太田の平均得点はすでに5.89点と昨シーズンを上回っていた。そして迎えたオールスターゲームでは、1Q途中から出場するや否や得点を挙げ、まさかの前半だけで7得点をマーク。
「空気を読まずに確実にレイアップに行ったのが良かったです」。