文・松原 貴実 写真・吉田 宗彦
「僕たち選手の中、ファンの心の中、チームの歴史の中、そして、次なる世代の希望の中、拓馬さんは常に現役選手として美しいシュートを放ち続けると思っています」(#7正中岳城)
5月3日、トヨタ自動車アルバルク東京の今シーズン最後のホームゲーム(対広島ドラゴンフライズ)が代々木第二体育館で行われた。と、同時にこの試合はチームにとってもう1つ大きな意味を持つものであった。それは前日に告知された渡邉拓馬の引退。15年に渡りトッププロ選手として活躍してきた渡邉がこの試合を最後にコートを去ることとなったのだ。
トヨタ東京の選手たちはこの日全員が“12”(渡邉選手の背番号)のTシャツを着て登場。スターティングメンバーの紹介で「たくま、わたなべ」の名前がコールされると場内からは割れんばかりの拍手が湧き起こった。
「レギュラーシーズン1位を確定したことに加え、引退する渡邉選手のためにも戦うというトヨタのモチベーションに立ち上がりから飲まれてしまった」と、佐古賢一ヘッドコーチ(広島)が語ったとおり、トヨタ東京は出だしからエース田中大貴の連続得点で一気に流れをつかむと、前半47-25と大きくリードする。後半に入ると広島ドラゴンフライズはようやく普段のリズムを取り戻すが、トヨタ東京のペースは揺るがない。そして、クライマックスは最後の最後に訪れた。トヨタ東京のラストオフェンスとなった残り13秒、渡邉の放った鮮やかな3Pシュートがリングに吸い込まれ92-72。その瞬間、トヨタ東京のベンチメンバーは総立ちとなり、会場は大きな歓声と拍手に包まれた。
試合終了後、興奮冷めやらぬコートの上で行われた引退セレモニーでは主役の渡邉、伊藤拓摩ヘッドコーチ、正中岳城キャプテンがあいさつ。伊藤ヘッドコーチは今シーズン、ことあるごとに「たとえ試合に出ていなくても渡邉拓馬がいるといないとでは大きく違う。彼はそれほどチームにいい影響を与えてくれる頼もしい存在」と語っていたが、ここで述べた一言も「渡邉拓馬はトヨタにとって欠くことのできない大きな存在でした」――そこにはトヨタ東京のみならず、長きに渡って日本のバスケットボール界をリードしてきた渡邉への感謝と尊敬の念が溢れていた。
チームメイト、スタッフたちにとって渡邉拓馬とはどのような選手だったのか?セレモニーが終了した後の会場でそれぞれの声を拾った。
#7正中岳城
僕がトヨタに入ったとき、拓馬さんはもう中堅という感じでしたが、クールでいて負けず嫌いというか、口では言わなくてもプレーから熱が伝わってくるような存在でした。今のメンバーの中では、僕が1番長く一緒にプレーしましたし、今日は最後に同じコートに立てたことが嬉しく、ありがたいと思っています。
拓馬さんのキャリアを振り返ると、それはトヨタの歴史、実績とすべてがイコールなんですよ。言い換えれば、トヨタの歴史を振り返ることは拓馬さんのキャリアを振り返ることになるんです。そう思うと改めてもすごい選手だったんだなぁと思わずにはいられません。
#35伊藤大司
練習中もいるだけで空気感を作ってくれる人、大声を出したり、怒ったりしなくても、そこにいるだけでピピッとその場の空気が締まる人。拓馬さんにはそういう存在感がありました。拓馬さんがいてくれることで、悪い流れにならない、さすがというか、ものすごく貴重な存在だったと思います。僕らが練習しているとき、ケガをしてた拓馬さんはその隣で黙々と1人でダッシュしてたんですが、もうなんか、それだけでいい、その姿を見てるだけで「付いて行くぜ、兄貴!」みたいな(笑)
今日の試合のラストシュート、決まった瞬間に鳥肌が立ちました。最後までかっこいい兄貴でした。
#4ジェフ・ギブス
彼とは(日立東京に移籍する前の2年間と今季)合わせて3年一緒にプレーしましたが、本当にすばらしいチームメイトでした。彼と一緒にプレーすることは、ことばでは言い表せないくらい楽しかったです。
今日はラストゲームだったので、彼がシュートを打つチャンスを作って、彼に少しでも多くシュートを打たそうと思っていましたが、彼は「それはダメ、チーム優先にしてほしい」と強く言ってきて、そういうところにも彼の人間性が表れていたと思います。心もプレーもすばらしい選手でした。
#13菊地祥平
僕が本気でバスケットを続けようと思ったころ、拓馬さんはすでにトップリーグにいて、中あり外あり何でもできる選手として活躍していました。当時、僕も4番ポジションをやっていたので、同じ身長であれだけプレーできる拓馬さんはあこがれであり、ある意味お手本のように感じました。
大学を卒業して東芝(ブレイブサンダース神奈川)に入った年、同じくルーキーとしてトヨタに入った正中(岳城)や岡田(優介、現千葉ジェッツ)が尊敬できる先輩として拓馬さんの名前を挙げているのを聞いて、いつか一緒にプレーしてみたいなぁと思ったことを覚えています。
今季、一緒にプレーできる時間は短かったですが、あこがれの人と同じユニフォームを着られたことは忘れられません。
#8二ノ宮康平
拓馬さんは自分が小学生のころからあこがれていた選手です。だから、その人と同じチームでプレーできることになったときは信じられないような思いでした。
コートの中はもちろんですが、コートの外でも広い視野を持っていて、人の気持ちがわかって、ちゃんと気配りをしてくれる人です。いつもアドバイスをしてくれて本当に感謝しています。みんなが考えている拓馬さんのイメージそのままの優しい先輩でした。
#16松井啓十郎
僕が初めて拓馬さんと出会ったのは高校生のときで、ジョン・パトリックさん(2005年~2006年トヨタ東京ヘッドコーチ)の紹介で練習に参加させてもらいマッチアップしました。そのときの第一印象は「右のドライブがすごく巧いなあ」ということ。もちろん外のシュートもきれいだし、すべてのプレーがしなやかなオールラウンダーでした。なんていうか、変な言い方ですが、頑張っていないのに点はきっちり取るみたいな、とにかく柔らかなプレーに魅了されました。
トヨタに入って1年目のリーグで最初のシュートを決めたのはパナソニック戦でしたが、そのときアシストパスを出してくれたのは拓馬さんでした。あのときの3Pは今でもはっきり覚えています。シュートが入らなくて悩んでいるときは、いつも「気にすんな、気にすんな、シュートなんて自分を信じてそのまま打ち続ければいいんだよ」と、笑顔で言ってくれて、それを聞くと気持ちが楽になりました。自分にとって拓馬さんにはこれからも忘れられない選手であり、先輩です。
#88張本天傑
拓馬さんのことは高校のときから知っていて、ずっとあこがれの選手でした。一緒にプレーした時間は短かったですが、練習中もアドバイスしてくれたり、コートの中では先生みたいで、コートを出れば優しくて、楽しい兄貴みたいな存在でした。
怒られたことはいっぺんもないし、怒った顔も見たことがない。こんな優しい先輩は日本中どこにもいません。あんなにすごい選手なのに偉ぶったところが1つもない。だからこそこれだけみんなに愛されるのだと思います。
#11宇都直輝
優しくて、かっこよくて、偉大な先輩! 自分にとって拓馬さんはそれがすべてです。
#24田中大貴
拓馬さんのプレーがすごいのはもちろん知っていますが、バスケットがどうこうという前にまず人間としてすごく立派な人だと思っています。心からリスペクトできる人です。
自分はトヨタで拓馬さんの次に新人王を受賞できましたが、そのことは今も自分の誇りです。拓馬さんがこれまで築いてきたキャリアはすばらしいものであり、自分はこれからもその背中を追いかけることになりますが、少しでも早く追いつけるよう頑張っていきたいです。
#10ザック・バランスキー
拓馬さんと僕は14歳離れていますが、ふざけた僕のイジリにも全然怒ったりしなくて、いつも笑って接してくれました。15年間トップリーグにいてすべてを知っているすごい人なのに、コートの外ではそういうことを感じさせないほど優しくて楽しい人でした。ものすごくリスペクトしています。
荒尾裕文コンディショニングコーチ・トレーナー
まずは心から「お疲れさま」と言いたい。彼を見ていると、メンタルもフィジカルもプロとしてちゃんと育ってきた選手だなあと感じます。選手というのは教えたから育つというものではなく、やはり本人の性格や資質によるところも大きい。そういった意味で彼は自分で自分を育て、後輩たちの良き道しるべになってくれたように思います。
そういった資質はプレーヤーに限らず、いろんな面でバスケット界に貢献できるものだと信じているので、これからの彼の新たな活躍にも期待しています。
大宮文男マネジャー
大学を卒業してトヨタに入って来たときは本当に初々しかったですよぉ(笑)声を出してリーダーシップを取るタイプではなく、どちらかというと「俺のプレーを見てついて来い!」というタイプで、これまでたくさんの後輩たちがその背中を見てついて行ったと思います。静かであってもプレーに対する真剣さが熱となって伝わってくるような選手でした。これからも絶対忘れられない選手ですね。今はただ「ありがとう」と言いたいです。
新岡潤マネジャー
今日の拓馬さんの引退セレモニーは自分にとってこれまでのバスケットボール人生の中で最大のイベントでした。この時間を拓馬さんと一緒に過ごせたことが嬉しいです。
チーム最年長なのに、誰よりも物腰が柔らかくて、誰よりも優しくて、誰に対しても気を配ってくれるビッグダディのような存在でした。大好きでした。淋しいです。
佐古賢一広島ドラゴンフライズヘッドコーチ
長い間お疲れさまでした。自分も長く現役をやりましたが、最後の3年、4年ぐらいにはチームにとって必要なものは何なのかということをいろいろ勉強したと思います。彼は日本代表としてもチームを引っ張ってくれましたし、誰もが慕っている紳士でもあります。そういう意味ではこれからレジェンドの仲間入りをするのだと思いますが、これまで培ってきたものでこれからもぜひバスケット界に尽力していただきたい。現役を退いた後も高いモチベーションを持ち、また違った形で日本のバスケット界に貢献してくれることを願っています。
そして、最後に本人からのメッセージ。
#12渡邉拓馬
トヨタに戻ってきたとき、現役としては今季が最後と決めていました。引退を考えたのはアースフレンズ(東京Z)の終わりごろ。それまでなら決めていたシュートが決められないとか楽にできていたことが難しくなったとか(年齢的な)衰えを感じたこともありますが、それよりもモチベーションというか、自分の中の情熱がなんとなく薄れてきたように感じたのが1番の理由です。そういう情熱が自分の最大の取り柄だと思っていたので、たとえばどんなにいいパフォーマンスができたとしても情熱が追いつかないのであれば、それはもう引退のときなのだと思いました。引退するときはトヨタのユニフォームを着ていたいという夢があったので、今日はこうしてそれが叶えられて幸せです。
ただ、自分は基本的に自分自身の評価は低いので、こうしたセレモニーをしてもらうのは恥ずかしく、また、シーズンの途中ということでこれからが本番(プレーオフ)なのにチームのいい流れを途切れさせたくないという思いもあって、告知はぎりぎりまで延ばしてもらいました。ファンの皆さんに申し訳ないことをしたかもしれませんが、理解していただけるとありがたいです。
今朝ぐらいまでは(引退のことを)思い出して、ちょっと涙ぐんでしまうこともあったのですが、いざ試合が始まったら何も考えず夢中でプレーしました。
それにしても時間が経つのは早いですよね。15年なんてね。1番心に残っているのは、やはりトヨタに入って1年目(2001年)にリーグ初優勝して新人王をいただいたことでしょうか。偉大な先輩たちが苦労してやっと手に入れた優勝であり、勝つチームとはどういうチームなのかということも感じられて、それが僕自身の、また今のアルバルクの原点になっているのではないかと思います。
15年の間にはいろんなコーチの下でプレーしましたが、いつでも心がけていたことは『苦手意識を作らない』ということです。シュートだったらどのポジションでも打てる、オフェンス全体で言えばシュートだけではなく、ドライブもパスも精度を高めて「自分はこれが苦手だから」という意識を取り除いていくようにしました。その中でどのコーチであっても求められるものに対応していく力は磨いていったつもりです。新しいコーチになるたびに新しいことを自分の身体に染み込ませていきました。
でも、それももう終わりなんですね。トヨタ、日立、アースフレンズ、そして、最後はトヨタ…どこのチームでもいい先輩、いい後輩、いい外国人選手、いいコーチングスタッフに恵まれ、ほんとにネガティブな要素がなくて、そんな中でバスケットを続けてこれた自分はなんて幸せなんだろうと思います。今、感じているのは家族や仲間、そして、ずっと自分を支えてくれたファンの皆さんへの深い感謝。自分は本当に幸せです。もう幸せしかないです。15年間、本当にありがとうございました。
■渡邉拓馬(わたなべ たくま)
1978年10月7日福島県生まれ。福島県立福島工業高校→拓殖大学→01年トヨタ自動車アルバルク東京→12年日立サンロッカーズ東京→14年NBDLアースフレンズ東京Z→15年トヨタ自動車アルバルク東京。
高校時代は日本ジュニアチームの代表として96年アジアジュニア選手権大会(3位)に出場。3年次のウインターカップ準優勝。拓殖大では4年連続関東大学リーグの得点王。97年、99年ユニバーシアード大会出場。01年トヨタ東京ルーキーシーズンにJBLスーパーリーグ優勝。新人王を獲得。05年、06年、11年~12年シーズンリーグ優勝。07年、12年天皇杯優勝。
<日本代表歴>01年東アジア競技大会、01年アジア選手権大会、02年アジア競技大会、03年アジア選手権大会、06年アジア競技大会。