本文・松原貴実 写真・安井麻実
4月24日に行われたトヨタ自動車アルバルク東京―熊本ヴォルターズの一戦は90-47でトヨタが圧勝。敗れた熊本の主力・遙天翼は「チームとして何もさせてもらえなくて、悔しさを通り越して情けない気持ちです」と唇を噛んだ。その1週間前に行われた東芝ブレイブサンダース神奈川との1戦目では、敗れたとはいえ最後の最後まで競り合う白熱戦を演じただけに「あのゲームで感じた手応えというか、チームの成長を今日のトヨタ戦でも見せたかったのですが、逆に力差を見せつけられる展開になってしまって…」
ウエスタンリーグ最下位に低迷する熊本ヴォルターズにとっては、長いリーグの一戦、一戦全てが『挑戦』。
「昨シーズンは6勝しかできなかったチームだし、清水(良規HC)さんにも『俺たちには失うものは何もない。戦うたびに得るものがあるだけだ』と言われています。負けてもそこから何かを得て、次は絶対勝とうと…。下を向いている暇はありません」
『下を向いている暇はない』――それは遙自身が今季繰り返し、繰り返し自分に言い聞かせてきた言葉だ。
福岡第一高校から東海大と強豪チームを経て、社員選手として三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ名古屋に入団したのは4年前。トップリーグでプレーできる喜びとチームの勝利に貢献できる選手になりたいという希望で胸は大きく膨らんでいた。
しかし、仕事とバスケットを両立させる生活は想像していたよりずっと厳しいものだった。
「社員なのでシーズン中も朝8時半から12時までは出勤して仕事をします。僕は営業部でデスクワークでしたが、工場だったからスーツで出社して作業着に着替えて仕事をしていました。研修期間はあったものの、電機の専門用語などわからないことも多く、そのたびに先輩に聞いたり、自分で調べたりしていましたが、それでも追いつかないことも多くてそれがストレスになってどんどん溜まっていったような気がします」
シーズンが終われば、その翌日から出社し、通常通り朝から夕方までの勤務が始まる。
「社員なんだからあたりまえのことですが、長いシーズンが終わってもホッと一息つくというか、気分をリフレッシュする時間がなかったのは結構きつかったです」
それでも、チームの中で自分の存在感を示せていればまた気持ちは違ったかもしれない。「1年、2年…とプレータイムは伸びないまま時間は過ぎ、ずっと焦りを感じていました。もっとうまくなりたいという気持ちと自分はもっとできるはずだという気持ちと、いろんな思いがごっちゃになって、自分はなんのためにバスケットをやっているのだろうと、1人であえいでいるような3年間でした」
三菱を退社して、自分を必要としてくれるチームに移籍したい…。正直に言えば、その思いは1年目を過ぎたころから芽生え始めていた。
「もちろん厳しい道ですが、自分ではその覚悟もできていました。でも、母のことを考えるとなかなか実行に移せなかった」
遙の両親はともに中国人。父はかつてユニバーシアード中国代表にもなったバスケットボール選手だった。5歳のときに日本に移住したのは「天翼の教育は日本で受けさせたい」という父の強い意志があったからだ。それから15年を経た2008年、遙が20歳になる年に家族は日本に帰化した。バスケットを続ける息子を常に全力で応援してくれた父が病に倒れ、亡くなったのは2011年、遙が大学を卒業し社会への一歩を踏み出す4月のことだった。
自分を日本で育てるために両親が味わったであろう沢山の苦労、親孝行をする間も与えてくれないまま逝った父、そして、1人残された母。
「母を支え、守るのは自分の役目だし、その母に『三菱電機を退社してプロ選手になりたい』とはなかなか言い出せませんでした」
だが、3年が過ぎてもプレータイムが思うように得られず悶々とする息子の気持ちを母はちゃんと理解してくれていた。「いいよ、あんたが行きたいという道を選びなさい」――母がそう言ってくれたとき、全ての迷いが吹っ切れたという。「本当にもう迷うことは何一つありませんでした」
熊本ヴォルターズに移籍したこの1年、遙のプレータイムは大幅に伸び、日本人選手としてはチームトップのスタッツも残した。
「自分のプレーでチームを勝たせることができたり、逆に負けさせてしまったりという経験は、なんていうか、すごく大袈裟に言えば自分がチームの歴史を作る一端を担っているというか、そういう感覚。努力や実力が試される分、大変だけどわくわくします。やりがいがあります」
もちろん、その一方でプロ選手としての厳しさも感じている。
「自分にとって毎試合、毎試合が死闘だから知らない間に心のエネルギーも消耗してきて、どうしても波が出てしまう。80%しか力が出せなかったとき、あとの20%をどう出していくか、自分をどう奮い立たせていくかが(プロとしての)課題です。僕は今でも試合中にふっと一瞬休んでしまう癖があって、清水(HC)さんからも『ほらっそこだ』と、指摘されるんですが、そういう悪い癖を修正することも含め、常に気持ちを切らさずに試合に臨むこと、なかなか勝ち星に恵まれないから難しいこともありますが、難しいことだからこそ頑張る。それが大事だと考えています」
プロ選手になった以上、より結果が求められるのも当然のこと。
「勝ってなんぼの世界ですから甘いことは言ってられません。ときにはチームプレーを無視してでも自分で行かなきゃならないこともある。そういうエゴも芽生えました。勝利に対してはより貪欲になったと思います」
5月2日、3日の広島ドラゴンフライズ戦に連敗した熊本ヴォルターズは、6勝48敗と昨季の勝ち星を上回ることができないまま最下位でシーズンを終えた。それは同時に遙天翼のプロ選手1年目の終了でもあったが、本人が下を向くようすはない。
「うちは若いチームだからまだまだ伸びるチャンスはいっぱいあります。今年10得点ほどだった自分のアベレージも来年は15に伸ばしたい。得点でもっと貢献できる存在にならないと」
結果を残せなかった無念さはあるが、それは来季に晴らせばいい。
「自分で選んだ道に悔いはありません。これからどう成長していけるのか、そのことだけを考えて頑張っていきます」
プロ選手として本当の意味で真価を問われるのは、「これからなのだ」と思っている。