2016年、ウインターカップ女子の頂点に立ったのは岐阜女子との激戦を制した桜花学園だった。64-62。岐阜女子の猛追に苦しみながら守り切った『2点』はチームに2年ぶりの優勝と今季の3冠達成をもたらした。だが、インタビューに答える井上眞一監督の表情は渋い。試合内容については「全然だめ。勝てたのはラッキーだっただけ」と切り捨て、「指示したことをやらないチームはだめです」と、激辛コメントが続いた。しかし、選手たちはそんな監督の言葉などどこ吹く風とばかり喜びを爆発させる。『勝たなくてはならないチーム』の重圧はどれほど大きかったことか。それをはねのけた選手たちの解放感あふれる笑顔と、それをわかっていながら敢えて苦言を呈する監督。その対比はどこか愉快で、同時にそこに桜花学園の強さを見たような気がした。男女合わせても最多となる21回という優勝の数は追われる日々を示す数字でもある。すばらしい追い上げで手に汗握る熱戦を演じた岐阜女子はじめ、今年も『打倒桜花』を胸に冬の舞台に上がったチームは少なくなかった。3回戦で顔を合わせた開志国際もその中の1つである。
伝統もなく、先輩もいないチーム
2014年に開校した開志国際高校に一期生として入学した船生晴香は「ここに来たのは桜花学園を倒すため」と言い切った。1年生だけのチームはその年のインターハイの切符を勝ち取り、ウインターカップにも初出場。そこで残したベスト16の成績は当時『ミラクル』とさえ言われたが、新興チームの戦いは試合のコート上だけではなかった。
「お手本になる人や頼れる先輩がいないということで、1つひとつすべて自分たちで作り上げていかなければなりません。アップのときの声出しから練習のメリハリの付け方まで自分たちがしっかりやっていかないと何も始まらない感じでした」(船生)
入って間もなく初代監督が急逝するという不幸もあり、そのあとを受けて就任した伊藤翔太コーチは「先輩のいない彼女たちは右も左もわからず、高校生というよりまだ中学の延長にいる中学4年生のようだった」と振り返る。
「でも、そこからよく頑張ってくれました。特に今の3年生は山ほどあった苦労を1つずつ本当によく乗り越えてきたと思います」
船生自身は1年の途中からコンバートされたガードポジションに悩むことも多かったという。
「正直、ガードをやれと言われたときはびっくりしました。最初のころはフォワードで出ていて、シューターとしてやっていたので、ガードとして全然うまくいかなくて、本当にこのままやっていけるのかと不安を感じていました」
続けられたのは持ち前の負けん気と「もっとうまくなりたい」という人一倍の向上心のおかげだ。
「もらったパスをシュートしていればよかった前とは違って、周りにシュートを打たせる役割も担うようになったことで頭を使うようになり、プレーの幅も広がったと思います。今も全然ダメですけど、でも、少しは成長できた。すごく自分のためになったと思っています」
下級生が入ってきた翌年のインターハイはベスト16、ウインターカップもベスト16。
チームは順調に育っているように見えた。が、3年になった船生は度重なるケガに苦しむことになる。
「1年生から試合に出ていたこともあってやっぱり体幹を鍛えたり、身体を作ったりする時間がなかったというか、そこは他のチームより劣っていたと思います。ケガが多かったことでみんなには本当に迷惑をかけました」
インターハイは初のベスト8に食い込んだが、船生自身はウインターカップ予選もケガで欠場した。それだけに「この大会はみんなに連れてきてもらった」という気持ちが強い。「そう思うと感謝しかないです」
その『感謝の大会』で巡ってきた桜花学園との対戦。それは自分の『夢』を叶える最後の
チャンスでもあった。
未来へのバトンは後輩たちに託す
馬瓜ステファニー(181cm)を筆頭に高さで大きく上回る桜花学園に対抗するために開志国際は出だしから1-1-2-1のゾーンディフェンスを敷く。「1人が1.5人分ぐらい守るイメージでやろうと勝負に出たんですが」(伊藤コーチ)それをするりとかわすように桜花学園は外から高確率のシュートを決めてきた。出鼻をくじかれた開志国際は第1クォーターで14-21と水をあけられ、反撃の糸口を見つけられないまま前半を22-43で終了。最終クォーターの残り3分半から連続得点で最後の意地を見せるが前を行く桜花学園の背中は遠く、55-78の大差で敗戦。それは3年間追い続けてきた船生の夢がついえた瞬間でもあった。
「もっとできたはずだ」という悔しい気持ちが涙になる。その姿を見守る伊藤コーチの目もうっすら濡れている。
「大きな大会でどんな試合の入り方をするか、それはやはり伝統校の方がわかっています。歴史がないということは、先輩たちを見て学ぶ機会がないということ。でも、3年間力を合わせてここまで来ました。それはひょっとすると日本でこれからも出てこない彼女たちしかできなかった経験かもしれない。自分たちが最初の伝統を創ったのだという経験を宝にして次のステージに向かって行ってほしいと思います」
桜花学園が積み重ねてきた歴史が何層もの色で彩られているとするならば、開志国際のそれはまだ薄い単色かもしれない。しかし、それを確かに色付けしたのは船生をはじめとする3年生たちだ。「つらいこともいっぱいあって、ケンカもしたし、途中で辞めたいと思ったこともあったけど、みんながいたからここまでやってこれました。今、チームメイトは私にとって家族のような存在です。別れるのはすごく寂しい。でも、このチームはもっと強くなっていくはずだし、未来は後輩たちに託したいと思います」――涙の跡は消えなかったが、最後の言葉を言い終えたとき、船生の顔にようやく晴れやかな笑みが浮かんだ。
文・松原 貴実 写真・安井 麻実