先日、取材させていただいた「内閣総理大臣杯争奪 第44回日本車椅子バスケットボール選手権大会」。取材としては初めだが、車椅子バスケ自体には馴染みがある。15年以上前、同大会のエキシビションとして当時のJBL選手の引退試合が行われた際、裏方としてお手伝させていただいたり、今では車椅子フェンシングへ転向した元日本代表の安 直樹選手にいろいろお話を伺ったこともある。
昨秋、千葉ポートアリーナで行われたリオパラリンピック アジア・オセアニア予選も会場へ行き、配布されたチアスティックを叩いて2階席から応援していた。何よりも『リアル』(井上雄彦/集英社)を愛読している。
だが、全国大会の中でも、優勝常連チームの名前程度しか知らず、日本代表以外の選手には疎い──ポジティブに考えれば、フラットにバスケを見ることができる。ならば、自身のスカウター(※マンガ「ドラゴンボール」に出てきた相手の戦闘力を測定する装置)にかなう選手を見つけ、お話を聞いてしまおうと思った次第だ。
まんまと(笑)、スカウターに引っかかったのが、黄色いマシン(車椅子)に乗る埼玉ライオンズ#7原田 翔平選手であった。
Text & Photo by Seiichi Izumi
ローポインター勢でベスト4進出を果たした埼玉ライオンズ
「良い流れも、悪い流れもあるのはゲームの中では当然です。若干相手のほうが良い流れの時間帯が多かったことがこの点差であり、このような結果になってしまいました」
準決勝で千葉ホークスに45-57で敗れた後の第一声である。
スカウターにヒットした要因は2つ。
・準決勝2試合を見ている中で、ローポインター(=持ち点1.0~2.5と低いほうが、障害の重い選手を指す。障害の程度により1.0点から4.5点まで、0.5点刻みでの持ち点でクラス分けされる)ながらミドルシュートをよく決めていた。
・埼玉ライオンズのハイポインターは篠田 匡世選手(3.5)と大館 秀雄選手(4.0)の2人のみ。他8人はすべてローポインターのチーム。
※ちなみに対戦した千葉ホークスは、15人のロスターのうち3.0以上のハイポインターを5人擁する(コートに出る5人の合計が14.0点以内で構成される)
「僕らはハイポインターに依存しないチームです。篠田、大館という2人のビッグマンがインサイドで体を張って頑張ってくれますが、それに負けないくらい僕らローポインターもアウトサイドシュートやスピードで各々の個性を出して戦ってこられたのが、ここまで勝ち上がれた要因だと思います」
原田選手の持ち点は1.0と一番低いクラスであり、腹筋、背筋が機能せず、座位バランスを取ることもできない。日本代表のエースである藤本 怜央選手(宮城MAX)や香西 宏昭選手(NO EXCUSE)など、プロレスラーのような上半身を持つ選手も少なくない車椅子バスケは、格闘技さながらのフィジカル&車椅子コンタクトが日常茶飯事である。その結果、試合中に転倒することも頻繁にあり、腕力だけで起き上がれるのはそんなハイポインターたちだ。転倒したローポインターは自力で起き上がることができず、仲間や対戦相手の助けが必要となる。
健常者の方は、ミドルシュートを打つ時のフォームを思い出してもらいたい。ヒザを曲げて若干前屈みになり、腹筋や背筋をバネとして使いながらボールを放つ。腕の力にはさほど頼っていない。腹筋と背筋が機能しないローポインターの選手にとって、3Pシュートはもちろんのこと、ペイントエリア外からミドルシュートを打つのも本当に大変なことなのだ。それをサラッとやってのけ、ヒョイッ、ヒョイッと決めまくるわけだから、原田選手に目を奪われたのは必然なのである。
「腕力だけでシュートを打ってますが、僕は病気になる前からバスケをやっていたので、シュートの感覚がわかっています。シュートは力だけではなく、全体的な体の使い方もあります。その感覚は失わずに、でも1.0点なので腕の力もトレーニングしながら練習してきました」
まずは全国制覇が目標!
アウトサイドシュートでパラリンピックへ向けてもアピール中
小学校からバスケを始めた原田選手だったが、16歳の時に病気を患い、障害を持ったことで車椅子バスケに出合った。現在26歳、車椅子バスケのキャリアは10年目、同時に埼玉ライオンズの選手としても10周年を迎えた。
「僕が入った頃から全国選手権には出ていましたが、1回戦や2回戦で負けてしまうチームでしたし、僕自身も試合に出られませんでした。持ち味のアウトサイドシュートをチームのひとつの武器にできるように取り組んだことで、徐々に試合にも出られるようになりました。これまでやって来た中で、この10年目が個人的にもチームとしても、一番良い状態だったと考えれば、確実に成長していると言えます」
チームとして24年ぶりに決勝へ進んだ昨年は、ハイポインターがもう2人いた。しかし、決勝では王者・宮城MAXになすすべなく19-64で大敗。原田選手は無得点に終わった。ハイポインターが減ったチームの現状と向き合い、長所を伸ばして戦い抜きながら、ベスト4進出を果たした今年のチームに自信をのぞかせている。
「同じ負けるにしても、これまでは大敗を喫してしまうことが多かったです。しかし今年は、結果はどうあれどの試合も接戦に持ち込むことができました。チームの総合力としては、昨年よりも上がったと思います」
50-69で敗れた3位決定戦のNO EXCUSE戦。第1ピリオドから4-20と大差をつけられていたが、諦めることなくコツコツと点を返していき、前半で8点差まで詰めたところにも成長がうかがえる。
取材した翌日、宮城MAXが8連覇を達成した後、表彰式が始まった。ベスト5の中に、原田選手の名前が読み上げられた。初受賞となったベスト5に、東京体育館に集まった多くの方々の中で本人以上に喜んでいたのは筆者だったと自負する。話を聞いておいて良かった、と。
バスケはコート上の5人が戦うスポーツであり、持ち点の合計も左右する車椅子バスケだからこそ、ローポインターの得点源は重宝する存在だ。すでにリオパラリンピック出場を決めている男子日本代表への招集に期待が高まる。
「厳しい中とは思いますが選ばれると良いですね。僕の特徴はハッキリしており、このアウトサイドシュートでアピールしていきたいです」
4年後には東京パラリンピックが待っている。40代の選手も多い車椅子バスケにおいて、26歳はまだまだ若い。原田選手に今後の目標を伺った。
「(準決勝で敗れた)このタイミングで言うのが正しいのかどうかわかりませんが、やっぱり日本一になりたい。ミニバスを始めた時からそれはずっと思い描いてきた目標です。まずは日本一を獲りたい。その上で、日本代表に呼ばれるようなことがあれば、その時に新しい目標が生まれると思っています」
黒ベースが多い中、取材した中では唯一無二であったイエローマシン。そのこだわりについては、「特に大好きというわけではないですが……最初に作った車椅子が黄色だったこともあり、周りが僕に求めてしまってますよね」と笑顔を見せた。
リオパラリンピックへ向けて、車椅子バスケがさらに注目を集める。日の丸を背負う輪の中に、ひときわ目を惹く“イエローマシンのシューティングスター”がいることを祈るばかりだ。
日本車椅子バスケットボール連盟 ⇒ http://www.jwbf.gr.jp/