bjリーグが産声をあげた時、チーム数はたったの6つだった。仙台89ERS、新潟アルビレックスBB、埼玉ブロンコス、東京アパッチ(2011年3月の東日本大震災後に消滅)、大阪エヴェッサ、大分ヒートデビルズ(来シーズンより愛媛オレンジバイキングス)。いよいよ今週末5月14日から最後の王者を決めるファイナルが有明コロシアムで行われ、ラストシーズンのクライマックスを迎える。
11シーズンをかけ、全国24チームにまで膨れあがったbjリーグ。6チームから始まった初年度から11シーズンを全うした選手はたったの12人。
青木康平(福岡)、石橋晴行(大阪)、日下光(京都ハンナリーズ)、小菅直人(琉球ゴールデンキングス)、佐藤公威(新潟)、清水太志郎(福岡)、城宝匡史(富山グラウジーズ)、仲西淳(福岡)、波多野和也(滋賀レイクスターズ)、藤原隆充(群馬クレインサンダーズ)、堀川竜一(横浜ビー・コルセアーズ)、水町亮介(秋田ノーザンハピネッツ)。
この11年間、岩手ビッグブルズや大分・愛媛ヒートデビルズ、高松ファイブアローズ、さらには優勝した横浜ビー・コルセアーズ等々、いくつものチームが経営危機を乗り越えて“今”がある。残念ながら、宮崎シャイニングサンズと東京アパッチは消滅したが、その2チームに在籍していたレジェンドが今シーズン、同じチームでプレーし、Bリーグでは3部行きを言い渡されている。数々の難局を体験してきた青木選手と清水選手に、11年間の汗と涙を振り返ってもらおう。
やっぱり悔しい! 不完全燃焼で終えたラストシーズン
── 11シーズンを全うしたbjリーグのラストシーズンが終わった今の心境は?
青木:どのタイミングで負けても11年戦い抜いたわけで、終わってみればやっぱり悔しいです。ただ、それまでの過程はいろんなことがありました。コート上ではそんなには感じませんでしたが、会場に来るまでの間に11年間のことをずっと振り返ってました。
自分の体に身を任せて最後はバスケットをしたいと思っていたのですが、実際にはそれどころではなく、やり切った感がまったくない。与えられた環境で、できる限り頑張ってはいたのですが、全体的には不完全燃焼ですね。
清水:やっぱり悲しいという思いが強いですかね。bjが始まった時は日本人選手もほとんどいませんでしたし、ある程度のレベルのバスケ選手もいませんでした。当時JBL(現NBL)とはどこか張り合ってる部分があり、「なにくそっ」という思いがありました。僕に限らず、1シーズン目からbjでプレーしてきた選手たちそれぞれにプライドがありました。
── 福岡はヘッドコーチが代わりました。安定しなかった中で、最終節でプレーオフ進出を決めただけでも一つの成果だったのでは?
青木:僕が福岡に来て3年が経ちますが、ヘッドコーチがもう6人も代わってるんですよ!
── 今シーズンは、途中、石橋 貴俊さんが指揮を執られていて驚きました。
青木:石橋さんやヘッドコーチ代行を含めると3年間で9人です。やっぱり毎年毎年積み上げるものが無かったら、“有明”まで辿りつけないです。
清水:自分たちで苦しめてしまったシーズンでした。外国人をケガで失ってしまえばしょうがないですが、そうではなく代えようと思って切ったのに次の選手が見つからず、自分たちで苦しい状況を招いてしまいました。今まで宮崎や大分で経験したような「お金がないから選手が取れない状況」と福岡は違っていたので、本当にもったいなかったです。それでも、最後にはしっかりカムバックでき、ホームコートでプレーオフ進出を決められたのは、福岡としては一つの財産になるではないかと思います。
青木:ウエスタンカンファレンスの7位まではすごく良いチームであり、積み重ねがあります。しかし、福岡を含めた8位以下のチームはどう転がってもおかしくないチームばかり。大分はずっと外国人が2人しかいなかったにも関わらず、プレーオフ争いができるまでのチームになり、すごく良い雰囲気のチームでした。僕らもずっと外国人が一人欠けたままシーズンを戦い、最後も(仲西)淳くん(体調不良)がいませんでした。40試合やってきてヘッドコーチが代わり、それまでの積み重ねがないまま残る12試合でポッと勝ってしまっただけではチームとしての厚みはないわけです。その差がやっぱり勝負に出てしまったと思います。