文・松原 貴実 写真・三上 太
日本屈指の司令塔・田臥勇太、オフェンスマシーンの異名を取るシューター・川村卓也、日本のバスケットボール界を代表する2人の選手がハヤブサジャパンに帰って来た。それぞれ4年ぶり(田臥)、3年ぶり(川村)に代表のユニフォームを身に付けた2人に新たに日の丸を背負う決意を聞いた。
「覚悟を持ってこの場に戻って来た」(田臥勇太・リンク栃木ブレックス)
4年ぶりの代表チーム復帰。感想を求められた田臥が最初に口にしたのは「またこうして日の丸を背負える機会を与えてもらったことをありがたく思っています」という感謝のことばだった。
NBA(2004年、フェニックス・サンズ)でプレイした唯一の日本人選手、2010年のアジア選手権で日本を16年ぶりのベスト4に牽引した代表ガード、2009-2010シーズンにはリンク栃木ブレックスを初優勝に導いた司令塔…これまでの田臥の功績を書き連ねていけば長い列ができる。だが、その田臥にもケガに苦しむ時期があった。2009年、渡米中に痛めた踵(足底筋膜症)の悪化からコートに立つことが難しくなり、代表活動からも離脱した。それを克服できたのは自分の身体を隅々まで見直し、地道に続けたリハビリとトレーニングのおかげだ。2013-2014シーズンには平均32.46分出場し、アシストとスティール部門1位、日本人選手としての得点ランキングでも2位に付け、長いトンネルを抜け出したことを証明してみせた。
その姿を見た長谷川健志ヘッドコーチは「正直、去年の時点で(田臥を代表メンバーに)選びたいという気持ちもありました」と振り返る。「ただ去年は石崎(巧)や竹内公輔、竹内譲次の代にリーダーシップを持ってもらいたいという思いがあったのと、まだ田臥のケガに不安を感じていたことで(選出を)見送りました。もう1年、様子を見させてもらうことにしたんです」
そして、昨シーズンのNBLを相当数観戦した結果、「彼のコンディショニングに問題はなく、パフォーマンスもすばらしかった。何より彼がいることでゲームが落ち着き、大きな波がなくなります。1つひとつのプレイの巧さとチームへの貢献度、若手に与える影響力を考えても、あらためて代表に必要な選手だと感じました」
9月に中国で開催されるアジア選手権は、優勝チームにリオデジャネイロオリンピックの出場権、2位と3位のチームには世界最終予選の出場権が与えられる重要な大会。田臥自身も「この時期に、このタイミングで選ばれたことに意味があると思っています」と語る。
「このチームには若くて才能ある選手も多いですが、僕が彼らと同じことをやっていては意味がない。やはり自分の経験の部分を生かし、他の選手ができないことを見極めてやっていくこと。そして、長谷川ヘッドコーチが目指すバスケットを理解し、しっかり伝えて行く司令塔として貢献できればと考えています」
34歳のベテラン選手としてコートの外で求められることも少なくないだろう。歳の離れた若手選手たちとコミュニケーションを図っていくのもその1つだ。17歳差になるチーム最年少の八村塁については「ウインターカップで活躍しているのは見ていましたが、実際に会ってみてこんなに大きいんだと驚きました。あの大きさ(198cm)であんな動きができるなんてすごいなぁと。彼にはここでの経験をすべて吸収してコートに入ったら思いっきりプレイしてほしいですね。高校生ということで気を遣うところもあるかと思いますが、僕も高校生のとき代表合宿に参加させていただいた経験があるので、(大勢の先輩たちの中に入った)彼の気持ちはわかります。一緒にやることがあれば、そういう気持ちの面もケアしてあげたい」と笑顔を見せた。
アジア選手権4位になったときから5年の時が流れ、アジアのレベルも当時とは違ってきている。
「他の国もメンバーが変わってどんどんレベルが上がってきたのは感じています。実際に戦ってはいませんが、それはわかっています。だからこそそのレベルと戦ってみたい。そのレベルを経験してみたいです」
4年ぶりに袖を通した代表のユニフォームはどんな感触だったのか。
「日の丸の重みを感じました。代表を離れていた時間があったことで、今、余計にその重みを感じています。僕にはあまり時間がないので、その分覚悟を決めてここに戻ってきました。若い選手と激しく競争しながら、情熱を持って全力でぶつかっていくつもりです」
「この場所に立てたプライドを忘れず競い合いたい」(川村卓也)
昨年手術した膝の状態はまだ50%、本格的にプレイできるようになるにはもう少し時間がかかるかもしれない。「そんな自分の“今”を理解した上で長谷川ヘッドコーチが『来てほしい』と言ってくださったことは素直にうれしかった」と、川村は言う。
しかし、一方で「自分がただ単に若手を指導する選手として呼ばれたのなら、それは違う」という気持ちもある。
「若いとき、先輩たちが自分をいろんな面でサポートしてくれたことは忘れていないし、(今の若い選手たちにとって)自分がそういう立場になるのは当然のことです。でも、それだけでは選手として(代表入りする)意味がない」
初めてA代表入りをしたのは2005年、19歳のときだった。以来さまざまな舞台を踏み、豊富な経験を糧として日本のトップシューターと呼ばれる存在にまで上りつめた。2011年のアジア選手権で日本は7位に終わったが、川村は活躍が光った5人の選手贈られるベスト5を受賞。それは『アジアのシューター』として認知された証明でもあった。
そうした自分に選手としてのプライドを持つのは当然のこと。
「そうですね。いいシューターはたくさんいると思いますが。僕はシュートだけでなくパスもできる。シュートとアシスト、この2つができる選手はあまりいないと思います。それはいい意味での僕のプライドですね」
返ってきたことばの“いい意味でのプライド„の一言がひっかかった。
「こないだテレビで『プライドは人をダメにする』っていうのを見たんです。それによると、プライドが高ければ高いほど周りに与えるマイナスの影響も大きいというんですね。それが悪い意味のプライドなのかと…」
プライドとは実力に裏付けされてこそ感じることができるもの、自分の力を周りに示すことができて初めて実感できるもの…。テレビから流れてきた“プライド„の意味に反応した川村の中には、今、コートの中で持てる力を発揮できないもどかしい自分がいたのではないだろうか。
だが、今回の代表入りについて語る口調が暗いわけではない。
「ヘッドコーチの長谷川さんはチームを勝たせる術を知っている方だと思うし、何か議論になってもその場で解決できるコーチだという印象を持っています。新しいメンバーについては人間性を含めまだ全然知らない子も多いですから、その中に入って行くには結構労力が必要かもしれません。でも、一緒に練習していくことで人間関係は築いていけるはず。コートの中で分かり合える関係になるよう自分からどんどん絡んでいくつもりです」
競い合うことは好きだという。それが高いレベルであればあるほど気持ちが沸き立つ。
「ここ(代表)は日本の中で評価された選手が集まる場所であり、19歳のときから自分を育ててくれた場所でもあります。人を蹴落としても最後のユニフォームは自分の力で勝ち取らなくてはなりません。そのことを忘れることなく、互いに全力で競い合って向上していきたいと思っています」