上江田勇樹が自身のSNSで現役引退を表明したのは9月8日のことだった。JBL時代の三菱電機(現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)に入団してからの15シーズンで、のべ7クラブを渡り歩いたプロ生活。その最後は、主力としてB1中地区優勝に貢献した新潟アルビレックスBBに戻って締めくくることとなった。
38歳になった上江田が新たなバスケット人生のスタートに選んだのは、母校でもある沖縄・興南高。JBL・いすゞ自動車でプレーした後、上江田の在学時から同校を率いている井上公男コーチの下でアシスタントコーチの任に就くこととなった。井上コーチにとっても興南高は母校。その意味では、スムーズに話が進んだであろうことは想像に難くない。

「井上先生に『そろそろ引退を考えてます』という話をして、沖縄に戻りたいということも伝えて、『一緒に頑張ろう』と言っていただきました。僕自身まだ体は動きますし、まだやれると思うところもあったんですけど、その中で後輩とか若い子たちにアドバイスする環境があって、選手としてではなく指導者の方向に気持ちがシフトしていってるのかなというのもあったので、それを先生に相談させてもらったら『おまえにもそういう時が来たか』と。それで話が合致して、一気に指導者のほうに気持ちが振りきることができたという感じです」
本人としては現役続行という選択肢も全くなかったわけではなく、もともとは引退後にコーチ業に就くことも強く思い描いてはいなかったそうだが、選手生活が長くなればなるほど、後輩を指南する機会も増えるというもの。コーチに転身すること自体も、ごく自然な流れと言える。
「自分のことで精一杯だったので、いろんなチームを渡り歩いていく中でどう試合に出るか、自分のバスケット歴をどう長くしていくかと、本当に自分のことだけを考えてずっとやってきたんですけど、周りにアドバイスをするようになったときに『指導者の道も自分にはあるんだな』って気づかされました。今こうして指導に携わっていて、アドバイスできることはたくさんある。それを子どもたちの成長につなげていければというのが今は一番ですね」

結果的に現役生活最後の1シーズンを過ごすこととなった新潟には、三菱電機時代もチームメートだった五十嵐圭や鵜澤潤(現ヘッドコーチ)が同じタイミングで復帰した。その2人を含めた当時の仲間たちの存在により、チームスポーツであるバスケットの良さを改めて深く理解。それもまた、指導者としての在り方に生かせる要素だ。
「また呼んでいただけて、あのチームの一員として戦えるというのはすごく嬉しいことでしたし、思い出の地に戻れて感慨深い1年でした。中地区で優勝できたのもあのメンバーがいたからこそだと思いますし、いろんな人に助けられて、支えられて今の自分がいる。1人ではバスケはできないと思うので、それを子どもたちにも伝えて、どう試合に臨むかとか、バスケに対する姿勢の部分を大事にして今指導してます」











