2007-08シーズンを最後に現役を退き、3シーズンのアシスタントコーチ業を経て東芝ブレイブサンダースのヘッドコーチとなった北卓也は、その初年度にリーグ最下位の屈辱を味わいながらも、クラブが東芝からDeNAに引き継がれた2018-19シーズンまで、8シーズンにわたって指揮を執り、NBLで2度、天皇杯で1度の優勝をクラブにもたらした。
「HCを8年やりましたが、僕の中では結果に関係なく5年くらいと思っていました。3年結果が出なかったらと思っていたら3年目で優勝して、NBL最後のシーズンに優勝して、そこでもう5年経つので退こうと思いましたが、上司から継続打診があったので。DeNAに承継されたときも同じです。8年は長かったし、やはりマンネリ化してくるんですよね。佐藤(賢次)も僕の下で同じく8年ACをやってくれていたので、次のHCは彼だということは当時の東芝スポーツ推進室長で川崎ブレイブサンダースの初代社長の荒木さんにも伝えていましたし、DeNAに承継後も前社長の元沢(伸夫)さんにも伝えていました。Bリーグ3年目に中地区優勝できなくて退きましたが、自分としては良いタイミングだったと思います」
HC退任からほどなくして、北は当時の元沢代表の要請を受け、クラブ初のGM職に就く。東芝時代からクラブ一筋に過ごしてきた以上、これは自然な流れでもあるが、若かりし頃を考えると本人にとっては思いがけない人生を歩んでいるというのも確かなことだ。1995年に東芝に入社した北にとって、2024-25シーズンは実に30年目のシーズンとなる。
「まさかここまでやるとは思っていなかったです、あれだけ『地元に帰りたい』と言っていた若造が(笑)。コーチも全く興味がなかったですから。ACになるときも現役選手を続けたかったので。チーム作りで徐々に若い選手にシフトするのは理解できましたが、前年にケガをしてあまりプレーできなかったので、まだ選手に未練があり3回くらい依頼を断わりました。でも、当時のバスケットボール部長の臼井さんから『できる人にしか頼まないんだよ』と促されて、その一言が全てでしたね。HCになるときも同じで、このチームでずっとお世話になってきていて、必要とされているならやるべきだなと思いました。GMになったのも同じです」
HC時代から編成も担当していたため、GMとしての編成業務は理解していましたが、「GMの業務というものが最初はわからなかった。今もまだまだ日々勉強中です」という北GMにとっては、新しい発見の日々でもあった。第一線に立ち続けていてもわからないことは少なからずあるということに、新たな役割を任されたことで気づかされるのだ。