1999-2000シーズン、それまでの日本リーグが再編され、女子トップリーグがWリーグとして新たにスタートを切った。2023-24シーズンは、Wリーグにとって25周年の節目にあたることになる。これから様々な施策を打ち出していくことを期待したいものだが、その第一弾が既に最大の目玉となっている感もある。先頃発表された、原田裕花新会長の就任である。リーグ25年目にして初のアスリート出身、それもバスケットボール選手であり、かつて共同石油(現・ENEOS)でプレーし、1996年のアトランタオリンピックにも出場するなど、国内トップクラスだった人物だ。
引退後も解説業をはじめ、執筆業や講演、クリニックなど様々な形でバスケットの普及に携わり、特に女子バスケットの発展に尽力してきた原田会長。7月6日のWリーグ新体制会見に登壇した際には「会長を引き受けたのは、選手を心から応援したいという気持ちからです。選手たちが頑張る姿を、引退してからもずっと見てきました」と、強い想いを表した。
しかし、Wリーグ会長就任の打診を受けたことは青天の霹靂だったという。
「『えっ、自分が?』という感じですね。全く頭になかったことなので、そういうお話がくることが驚きでした。Wリーグを盛り上げたいとか、女子バスケってこんなにすごいんだよということをもっと知ってもらいたいという想いは引退後からずっとあるんですけど、こういう形は考えていませんでした」
昨シーズンのファイナルの後に就任の可否を返答することになっていたそうだが、第3戦のダブルオーバータイムまでもつれるENEOSとトヨタ自動車の大熱戦を目の当たりにしたことが、就任を決断させたということだ。
「すごく競ったレベルの高い試合で、選手たちが最高のパフォーマンスを見せてくれた試合の解説をさせていただきながら、本当に感動して、『何かしなきゃ』と選手たちに思わされました」
選手として10年にわたって第一線を走ってきたとあって、その経験をどう生かすかという点は大いに気になるところ。新体制会見の挨拶では「選手に寄り添い、選手と未来の子どもたちが輝けるステージを作っていけるように、また、Wリーグをたくさんの方に知ってもらい、応援していただけるように努力していきたい」と抱負を述べたが、その選手経験を具体的にはどう生かしていくのか。原田会長は、「まずは14チームの選手に実際に会いに行って、交流を持ちたい」と対話を重視する意向だ。
「会長としては身近に感じてもらいやすいほうだと思いますし(笑)、話を聞いてほしいと選手から言われることは今もあるので、そういう存在でいることからスタートかなと思います。そういう意味でもアスリート出身ということに意味があると思いますし、自分が選手としていろいろ経験してきたからこそ言えることもあると思っています。
ただ、選手の気持ちに寄り添うということは言いましたけども、それが100%ではいけないとも思います。チームや会社の事情、ファンの皆さんの想いももちろんありますし、そういう方たちの想いもこれからわかっていく部分があると思います。その中でも、選手のことを常に考えて、選手にとって何が良いのかを考えていければと思います」