『アインシュタインはマジックジョンソンのパスを見破るか』(前編)より続く
岡山恭崇氏をご存知であろうか。
たとえば運動中にふくらはぎのこむら返りを感知したとき、やむを得ず壁に突っ張りをお見舞いする必要が生じる。
その際、壁に触れる手の高さを見てほしい。
個人差はあれど、大抵の人類であればドアノブからそう遠くない場所に手のひらを置くことで膝下のご機嫌を伺えるだろう。
だが伝説のビッグマン、岡山氏のストレッチは異次元だ。
230cm、158kgの巨体を有し、NBAからもドラフトがかかった往年のレジェンドはバスケットゴールのバックボードに手をかけ、悠々とふくらはぎを伸ばしたとする逸話が残されている。
間違いなく日本を代表するセンターの一人だ。
プレーは見たことないけど。
「僕はもう竹内兄弟ですよね、やっぱり。」
日本代表のビッグマンと言えば誰を思い浮かべるか、という質問に、1998年生まれの25歳、シェーファーアヴィ幸樹はこう答えた。
「あの二人が17年間でしたっけ、ずっと代表を背負ってきた、その功績を破りたいです。本当に彼らがずっと背負ってきて、頑張ってきたっていう言葉を見てきたので、自分が代表を退いたときに、あの二人以上に惜しまれる、あの二人以上にお疲れさまでしたって言われるような存在ですかね。そんな唯一無二というか、『日本代表のビッグマンはシェーファーアヴィ幸樹しかいない』って言われるレベルになりたいなと、ずっと思っています。」
バスケット選手として行き着きたい場所を「日本代表の不動のビッグマン」とするほどに、シェーファーの代表に対する気持ちは強い。
それは東京オリンピックに出場するための一連の決断からも察することができるが、それほどまでの思いはどこから生まれてきたのだろうか。
「バスケをちゃんとキャリアにしていこうと思ったのが、代表のおかげでした。U18のときにめちゃめちゃヘタクソだった自分をずっと使い続けてくれたロイブルさんのおかげではあるんですけど、代表が僕を使い続けてくれた、っていう思いがあります。代表に対する感謝というか、代表のおかげでここまで来れた感覚があるので、それに報いるためにも代表で活躍したい気持ちが自然と強くなっていきました。」
しかし、ひたすらに成長し続けてきたシェーファーに、停滞が訪れた。
「特別すぎた」大きな目標がなくなってしまった。
「燃え尽きたわけじゃないですけど、なんかこう、東京五輪が終わって、一旦目標が終わっちゃって。もちろんワールドカップだったり次のオリンピックを目指してはいるんですが、なんかふわふわしてたんです。そういう意味では、同じレベルの目標になれていなかったのかもしれません。」
さらに、日本代表のヘッドコーチがトム・ホーバスに変わったことでバスケットのスタイルが大きく変化し、インサイドプレーヤーにも3ポイントシュートが求められるようになった。
「正直、伸び悩んでいるというか、どうしたらいいかわからなくなってるところはありました」と、オリンピック以降の心境をシェーファーは語ってくれた。
「トムさんになってから雰囲気も変わって、バスケのスタイルも変わって。3ポイントだったり外でプレーする選手を集め始めていたので、自分にもその意識が増えていきました。去年の夏にアメリカに行ってワークアウトをしたんですけど、その内容もほとんどが3ポイントだったり、外のプレー。なかなかこう…なんていうか…自分の一番の強みであるディフェンスだったりフィジカルにやることだったりインサイドで身体を張るってことが、それによっておろそかになってしまったように感じました。」
誤解を恐れず言えば、日本代表に選ばれるのは国内で一番上手い選手ではない。
ヘッドコーチが求める選手だ。
指揮官のスタイルに適さなければ、どれだけ優れていても代表選手にはなれない。
そして特化することを求められるトッププロが、自分の領域の外へ機能を拡張する作業は困難を極める。