中編:目指すは「100キロあっても動けるぞっ」!? より続く
「バスケが大好きだからこそ、もっとまわりも巻き込んでいきたい」
「将来はNBA選手になる」と夢を語っていたバスケが大好きなヘッドバンド・キッズ。あれから10年 ── さまざまな挫折を味わい、高い壁を目の当たりにしながら大学4年生になった東海大学 #4 小玉大智。社会へと踏み出す年齢となり、「NBA選手はもう諦めましたが…」と現実を口にする。いろんな人と出会い、多くの経験をしてきたことで新たな目標に向かっていた。
「まだ決まってはないですがB1でプレーすること。日本のバスケの発展とまではまだ言えないかもしれないけど、クラブがある地域だけでも活気づけたり、その地域の人とコミュニケーションを取ったりしながら、応援される人になりたいっていうのが今の目標です」
大学の進路を決めはじめる高校2年冬、大きなケガに見舞われ、ウインターカップはスタンド席から応援することしかできなかった。ビッグマンキャンプに志願して参加していた縁があり、そのときのコーチだった陸川章監督や小山孟志ストレングス&コンディショニングコーチが手を差し伸べてくれた。「これも縁ですね。すごくかわいいヤツです」と陸川監督との絆も強い。
バスケの技術はもちろんだが、「やっぱり心ですかね」という小玉は陸川監督から大きな学びを得た。「人として陸さんのことは、すごく尊敬しています。ゼミでもいろんなことを話してくれました。これから長い人生の中でも陸さんから学んだことは絶対生きるし、生きるように教えてくれました。プレーもメッチャ教えてもらいましたけど、心の部分を教えてもらったことが一番大きかったです」と感謝する。4年間で成長したのは、「順応力」と小玉は言う。
「自分の思いどおりにプレーできるような選手ではないし、それが役割ではないというのも理解した上で、コーチの考えをとにかく先回りして読んで、何をして欲しいか、どうしたら自分が試合に出られるかを常に考えていました。それによって、順応力が身についたかなと思います。特に今年はチーム力で戦っていかなければならなかったので、どうすれば良いかについての考え方は結構学んだかなとは思います」
吸収しただけではなく、後輩たちにも多くのものを与えてくれた。「このチームで一番熱量があって、勝ちたい気持ちもあって、練習中からもその気持ちをずっと持っている先輩。練習でゆるいところが出てしまえば、大智さんが集めて声をかけてくれました」という #13 金近廉は、インカレでの大活躍にもつながっていた。「たぶん自分が一番、大智さんとはケンカしてきたと思うんですけど…」というのは、2歳下の #3 ハーパー ジャン ローレンス ジュニアだ。意見が食い違うことも多いようで、「それをバァーって2人で言い合うことがよくありました。インカレ中も日大戦でピックをかけてほしいけど、俺は展開したいと言い合ってました」と小玉は明かす。思ったことを言い合える信頼関係がり、お揃いのヘッドバンドがその絆の証でもある。真摯に向き合う情熱こそ、見た目以上に小学校の頃から変わらぬバスケ愛を持ち続けていた。