ジョン・パトリックが日本を離れたのは16年前。
アルバルク東京の前身であったトヨタ自動車アルバルクをリーグ優勝に導き、それ以前にもヘッドコーチとして指揮を取っていたドイツリーグのクラブ、ゲッティンゲン(BG Gottingen)へと戻っていった。
それから16年の間にドイツ国内の3チームでヘッドコーチを務める。
彼は常に、苦境に喘ぐチームの希望だった。
様々な理由で低迷を余儀なくされたチームを大きく、そして強く蘇らせる彼の手腕は、リーグのコーチオブザイヤーに三度、そしてユーロリーグの一つ下のカテゴリーとされるバスケットボールチャンピオンズリーグ(BCL)のベストコーチに一度、選出されたことからも十分に窺える。
いつユーロリーグのビッグクラブからオファーが来てもおかしくない、目が眩むような実績を携えて、2022年の夏、彼は16年ぶりに日本に帰ってきた。
「(千葉ジェッツからは)去年のシーズン中に話が来て、早いタイミングだったので、他のチームとはほとんど話さなかった。ルートヴィヒスブルク(MHP RIESEN Ludwigsburg)ともあと一年契約が残っていたけど、(もう一つオファーがあった)スペインのユーロリーグに行くか、千葉ジェッツに行くか、という判断だった。」
ヨーロッパで一番強いクラブを決めるユーロリーグは世界で二番目にハイレベルなリーグだ。ここで活躍した選手がアメリカへと渡り、NBAのスターとなるケースも少なくない。だが彼が新天地に選んだのは、ユーロリーグに所属する世界的なクラブではなかった。
「日本に戻りたかった。それが一つと、もう一つは新しいチャレンジ。(千葉Jと)交渉していたときは、ちょうどスペインにいました。BCLのファイナル4でスペインに行って、すごくきれいなところで最高の環境だったんですけど、この千葉Jでのチャレンジを選びました。日本の新しいBリーグも経験したことがないし、私がいたころのJBLとは違うので、コンフォートゾーンから出てチャレンジしようと思いました。私は日本のリーグに16年間いなかったので、本当にいろいろな違いに気付かされます。ファンへのサービスとか、マーケティングの大切さ、選手たちの人気さ。どこに行っても選手たちは注目されるし、それが面白い。それは日本のバスケットビジネスにはポジティブなことだと思います。」
ここ数年で大きな発展を遂げ、今もなお拡張を続けるBリーグは、当事者にとっても変化のスピードが目まぐるしい。
長い期間を留守にしていたパトリックHCにしてみれば、まるで別世界に来たような、浦島太郎の感覚に近いのかもしれない。しかし、コートの外から大きな注目を浴びるリーグの変身に驚く彼の目には、コートの中の事情がどのように映っているのかも気になるところだ。
16年前から、日本のバスケットボールは進化をしているのだろうか。