中編「『支えられていた自分』から『切り拓く自分』へ」より続く
アイシン三河(シーホース三河)、栃木ブレックス(宇都宮ブレックス)、琉球ゴールデンキングスでプレーしてきた古川は「どのチームにも自分が成長できる学びがあった」と振り返る。共通するのはいずれも毎年上位争いに絡むチームだったこと。それに比べ移籍した当初の秋田ノーザンハピネッツは「チームとしての成熟度という意味でまだまだ力不足の感は否めなかった」と言う。古川が移籍する前の2018-19シーズンの勝率は2割8分3厘(17勝43敗)。リーグの下位に低迷していた秋田に移籍しようと思った理由はなんだったのだろうか。
CSでの完敗の悔しさを忘れず、昨季の自分たちを超えていく
「まずヘッドコーチの前田顕蔵さんを信頼していたこと。顕蔵さんとは日本代表(前田さんはアシスタントコーチとして参加)で一緒に活動したことがあってリスペクトできるコーチだということはわかっていました。その顕蔵さんに『必要だ』と言われたことがうれしかったんですね。それともう1つは選手としての意識の部分でしょうか。なんだかんだ言ってもそれまでの僕は自分が中心だったんです。中心と言うと誤解を招くかもしれませんが、なんていうか、それまではやっぱり自分のためだけにバスケットをやっていたと思います。それが30歳になって琉球に行ったあたりから少しずつ変わっていって、前にも言ったように自分からアプローチすることを意識するようになりました。秋田ではそれがもっと必要になると思ったんです。つまり、自分中心のバスケットじゃなくて、自分のこれまでの経験を還元していくバスケットですね。それは選手として自分の深みにもなるような気がしました。今までとは違う立ち位置でスタートするバスケットはやりがいも大きいんじゃないかと思ったんです」
では、実際に練習に参加したときの印象はどうだったのだろう。古川は言葉を探すようにしばらく考えていたが、「ほんと、こういう表現がいいのかわからないんですけど」と前置きしたあと「最初の印象をひと言で言えば『えっ!?』でした」と答えた。選手はそれぞれ頑張ってはいるものの同じ方向を向いているとは思えない。つまり、古川がたとえた「えっ!?」はそんなチームに対する驚きだったということだろう。だが、不思議と自分自身がネガティブになることはなかった。「やりがいは大きいんじゃないか」と思った気持ちが萎えることもなかったという。
「顕蔵さんに声をかけてもらったときから自分は何をしにこのチームに来たかはわかっていましたから。もちろん、自分が(チームに)うまくアジャストするために少し時間はかかりました。特にディフェンスはこれまでやったことのないスタイルだったので最初は戸惑うことも多かったですね。でも、それも次第に馴染んでいったし、みんなとの関係も積極的にコミュニケーションを取ることで深まっていったと思います」
古川のコミュニケーションの取り方は「気づいたことは必ず相手に伝える」ということ。伝える口調は常にやさしい。若干苛立ちを覚えるようなことがあっても声を荒げることはない。もし後輩たちに尋ねる機会があったとしても、恐らく「フルさんから怒られたことはない」と口を揃えるだろう。
「確かに怒ることはないですね。っていうか、性格的に怒れないんです(笑)。それに別に怒らなくても肝心なのは自分が気づいたことを伝えることなので、『さっきのプレーはもう少しこうした方がいいんじゃないか』とか『こういうプレーも試してみた方がいい』とか、まあそういう言い方をしますね。それがやさしい口調なのかどうか自分ではわかりませんが、多分怖くはないんじゃないでしょうか(笑)」