先日公開された記事でも少し触れたが、6月18日に北海きたえーるで開催された折茂武彦引退試合では、主役の折茂以外にも最後の晴れ姿を披露した元選手が2人いた。1人は、幕を閉じたばかりの2021-22シーズンを最後にバンビシャス奈良で現役を退いた種市幸祐。もう1人は、昨年8月に自身のSNSで引退を報告した山田大治だ。現役のうちに最後のプレーを披露できなかった山田にとっては、貴重な機会となったことだろう。そしてそれは、北海道で彼のプレーに声援を送ったファンにとっても同じこと。日本代表でも活躍した名選手を送り出すにはふさわしい花道だったに違いない。
人口の多い大阪府に生まれ育った山田だが、当時住んでいた地域にはミニバスチームがなく、本格的にバスケットを始めたのは中学進学時。それも、その中学校には必ず部活動に所属しなければならない決まりがあったという注釈がつく。
「体験入部でいろいろ回る中で、最初に行ったのがバスケ部でした。当時の顧問がむちゃくちゃ怖い人で、行ったらもう辞めさせてもらえなかったんですよ。1年生のときはずっと外を走らされましたし、ボールを触るのも先輩のシューティングのリバウンドくらいしかやらせてもらえなくて、正直中学のときは面白くなかったですね」
それでも、入学時点で約180センチあったという長身を生かして2年生からは試合にも出ていた。平均的に得点が取れるメンバーが揃い、必ずしも目立っていたわけではなかったと本人は述懐するが、推薦で高校に進学できるという話が持ち上がると、上を目指す意識が芽生えてきた。高校側としてもそのサイズはやはり魅力的で、山田は大阪高校に進むことになる。
「高校は緩かったんですよ。上下関係がなくて先輩にもタメ口みたいな感じでしたし、今はもうそんなことはダメだと思いますが、勉強もろくにせず、ほぼバスケット一筋というか、部活のために学校に行っていましたね。しかも、大学も推薦で行けそうだということで、始発の電車で学校に行って朝から1人でシューティングして、部活が終わった後も終電に間に合う時間までシューティング。それを3年間、ほぼ毎日やっていましたね。頭のほうじゃ大学なんて行けないし(笑)、絶対に推薦で行ったると思って」
その頃には大学卒業後の道も既に思い描いていたというが、当時のトップリーグだったJBLに関する知識はほとんどなく、「大学もどこが強いか全く知らなかったし、とにかく行けるところまで行こう」と向上心だけを携えて取り組んだ。身長がほぼ2メートルに達した2年生のときには府の国体メンバーに選ばれ、3年生になるとジュニア日本代表にも招集。その都度目標を立てながらバスケットに打ち込み、着実に階段を上る日々だった。