前編「選手時代の自分の“正しさ”が全ての選手に当てはまるわけではない」より続く
新型コロナウイルスの影響で今シーズンも多数の試合延期が余儀なくされる中、第21節を終えたサンロッカーズ渋谷の成績は20勝14敗(東地区6位)。腰椎椎間板ヘルニアに苦しむライアン・ケリーの戦線離脱が長引き、1月下旬からは新型コロナウイルスの濃厚接触者としてジョシュ・ハレルソンも欠く苦しい状況が続いたが、「それを自分がステップアップするチャンスだととらえてほしい」と木下は言う。その言葉に応えるかのように2月2日の横浜ビー・コルセアーズ戦では盛實海翔、西野曜、井上宗一郎、小川麻斗の若手選手がそれぞれ10分を超えるプレータイムを得てチームの勝利に貢献した。彼らを指導する木下もまた “黒子” としてチームを支える喜びを感じたのではないだろうか。
選手として日本一を経験したから今度はコーチで日本一になりたい
── 木下さんはご家族を大阪に残しての単身赴任だとお聞きしました。
そうなんですよ。それだけはめっちゃ寂しいです。特に下の子は単身赴任が決まった頃に生まれたのでほとんど一緒に過ごす時間がなくて寂しいですね。ビデオ電話ではいつも話していますけど、やっぱり家族に会いに行きたいなあと思います。
── 普段の生活はどんなサイクルなんですか?
体育館が開くのが8時なのでだいたいその時間に体育館に行きます。まだ誰もいません(笑)。そこでまず1人で筋トレをして、そのあとにデスクワーク、コーチミーティングを行いチーム練習に入ります。チーム練習後は若手の練習をやって帰宅するのは夕方の5時、6時ぐらいかな。それから食事を作って、夕食後は必ず1時間ぐらい大好きなお風呂に入って、ストレッチをして寝るといった感じでしょうか。
── 誰よりも早く体育館に行って筋トレをする!
ハハハハハ(笑)。だって選手と一緒に練習するんだから少しでも動けたほうがいいじゃないですか。そういった意味で食事もきっちり作るようにしています。選手の栄養管理より細かいかもしれません(笑)
── こんなことを言ってはナンですが、木下さんまだ現役でやれるんじゃないですか?
いやいや、体力はやっぱり落ちていますよ。けど、引退を決めた39歳のときはまだ体力にも自信がありました。
── では、どうして引退を決心されたのですか?
キャリアの最後のチームは大阪エヴェッサだったんですが、スタメンから外れるようになって引退を考え始めました。あのころのエヴェッサはまだ上位には手が届かず負けることも多かったんですけど、負けるとね、貢献できていない自分に責任を感じるわけです。それが徐々に心の疲労にもなって、このままプレータイムが減っていくならここで切り替えて次のキャリアを目指そうと決めました。もともとコーチになるのは自分の夢だったのでまだ気力も体力も十分なうちに次のステージに進もうと考えたんです。
── なるほど。その後、早い段階でサンロッカーズから声がかかったということですね。
はい、ありがたいことに。あの、ちょっと話がズレちゃうかもしれませんが、僕のこれまでの人生を振り返ると大きな分岐点、分岐点ですごくいい縁をいただいているんですよ。たとえば大学に進学するときも僕が進みたいと思っていた大学から「別の選手を取るから君は取れない」と言われて、どうしようかと思っていたところに日体大から声がかかった。その結果、インカレで優勝してMVPを受賞することができました。パナソニックが休部になって和歌山トライアンズに移籍して2年目のシーズンを迎えたときもそうです。契約するためにハンコを手にして順番待ちをしてたんですが、あと10分で自分の番が来る、いや、10分もなかったかな。とにかくあとちょっとで契約するというタイミングでサンロッカーズから「来シーズンうちでプレーしないか」という電話が入ったんです。