2014年9月19日(金)から21日(日)の日程で『FISU World University Championships / 3x3Basketball』(@ブラジル・サルバドール)が開催された。その大会に出場した3×3 U-24日本代表・高倉 健は今春、東海大学を卒業し、関東実業団連盟所属の「NTT東日本東京」でプレイするイケメン。本籍は5on5のチームに置きながら、ストリートにも活躍の場を広げる高倉。“Next Generation”のひとりとして、2020年東京オリンピック出場も夢ではない。5on5もストリートも、持ち味のスピードを活かして“次代を切り拓いていく”──。
──これだけは聞いておきたくて……不器用ですか!?(1984年、日本生命のCMで流行った、名優・高倉 健のセリフ。「自分、不器用ですから」)
高倉:ええ、何度も聞かれています(笑)。最初は意味が分かりませんでしたが、説明を受けて理解できました。実際も結構不器用なので、ちょうど良かったです(笑)
──すいません。では、本題に入りますが、バスケを始めたきっかけは?
高倉:父がバスケの経験者です。子どもの頃、一つ下の弟(陸/拓大4年生)と一緒に「遊びに行くぞ」と言われて連れていかれたのがミニバスでした。ダマされたというか、最初は楽しくなかったですね。小学2年だったかな、低学年なのでドリブルをしたり、そのままドリブルシュートを教えてもらったり……そのうちに面白くなってきたんです。
──バスケのどんなところが面白かったんでしょうか?
高倉:ドリブルですね。NBAのビデオも観ていたので、スタープレイヤーの真似をして、だんだんと楽しくなりました。年齢が上がるにつれて、少しずつバスケらしいチームプレイを教わるようになり、味方にパスをして得点が入るようになると、ますますのめり込みました。
──中学では、迷わずバスケ部へ?
高倉:そうですね。運よくいいメンバーが集まる中学に行くことになり、練習も熱心に参加して上達できたと思います。福岡県で3位に入りました。
──そうなると、高校ではインターハイを目指そうと思っていたのでは?
高倉:できればもっと高いレベルでやりたい、そう考えていました。練習試合で小林高校(宮崎)へ行くことがあり、そのときに好印象を受けたんです。「自分に合っていそうだな」と思って、進学を希望しました。
──インター出場の夢は叶ったのでしょうか?
高倉:残念ながら、当時は延岡学園が強くて……ただ、延学がインターハイで優勝した年のウィンターカップに出場できました。延学がシード校になったお陰で枠が増えたんです。ラッキーでした(笑)大会当日はさすがに緊張しましたが、楽しくプレイできたと思います。
大学進学は「関東の強豪校」しか頭になった。顧問の先生や親と相談しながら、目指すは東海大。入学を果たし、勇躍バスケ部に入ったものの、ここで壁にぶつかってしまう。
──モチベーションを保つのは難しくなかったですか?
高倉:ずっとBチームでしたが、そうなるとAチーム入りが目標になります。それが一番のモチベーション。また、Bチームで臨む試合もあるので、そこで良い成績を残したいと頑張れましたから、気落ちすることなく、モチベーションは下がらなかったですね。
──大学卒業後の進路はどのように考えていたのでしょうか? プロも視野に?
高倉:プロで、という思いがなかったわけではありませんが、現実を見据えるとなかなか……NTT東京東日本の先輩から声を掛けていただき、良い印象を持っていたので目指したいと思いました。ただ、入社試験に備えなければなりませんから、就活の準備もそれ相応にやりました。安定した企業でバスケに打ち込める環境があり、関実1部優勝、全日本実業団選手権制覇という高い目標もあって、やりがいは大きいですね。
=NTT東日本東京バスケットボール部・髙橋 康晴部長=
我々のチームが、東海大の卒業生を迎えるようになったのはほんの数年前から。すると、「ぜひ、誘っていただきたい後輩がいるんですが……」と先輩たちから要望が出るようになってご縁が続き、今年の高倉につながっています。プレイを見るとスピードがあって視野が広い。“これはウチにピッタリだ”そう思って声を掛けたんです。実業団というカテゴリーで上位を狙いたいと思っていますので、彼には期待しています。ぜひ、頑張って欲しいですね。ストリートで活躍していることも理解しています。
──社会人になって「仕事とバスケの両立」は思っていた以上に大変だったのでは?
高倉:慣れるまでは大変でした。学生時代とは時間の使い方がまったく違います。バスケの時間は自分の努力と工夫、周りの協力がなければ確保できません。ただ、慣れてくると、そういう環境でプレイしていることに充実感があるというか、やる気が出てくるんです。初めての関実は楽しかったですね(笑)※男子2部Bブロック1位
──関実では5on5。その顔とは別に、ストリートボーラーとしての顔もありますが?
高倉:平塚Connectionsの練習に参加していて、こちらも4月からメンバー入りしました。独特の雰囲気のコートでプレイするのは、また違った楽しさがあります。スピーディーで、僕の持ち味がより活かせるというか……お客さんの反応も違いますから。
──ストリートボールリーグ「SOMECITY」の強豪チームの一員として活躍し、さらに3×3 U-24の日本代表にも選ばれましたね?
高倉:実は、セレクションを受けるまで3×3のことはあまり知りませんでした。初めて3×3をやったのもセレクションの時です。今回、セレクションがあるというので、平塚Connectionsの中で若手が挑戦しようということになり、僕が手を挙げたというか……でも、それまで3×3で日本代表になれるとか、国際ゲームに出られるとか思っていませんでしたし、オリンピックの正式種目入りを目指していることも知らないぐらい。今では凄くハマっていますけど(笑)
──SOMECITYで顔見知りの選手の他、全国からボーラーが集まっていましたが?
高倉:セレクションは15~20人ぐらい参加していたでしょうか。やるからには負けたくない、その一心でした。ルールも正確には把握できていなくて、戸惑いもありましたが、日本代表候補として強化合宿に呼ばれ、その後正式に「日本代表」に選ばれました。
──「日の丸」を背負って戦うというのはいかがでしょうか? 海外遠征も初めて?
高倉:なかなか実感が湧きませんでしたが、合宿に参加して指導を受け、徐々に責任の重さを感じました。ユニフォームも届いて、いよいよ本番だ、と。これまで海外のチームと対戦したことはありませんでしたが、自分の力を100%発揮して好成績を収めたい、次につながるプレイをしたい、そう思って臨みました。海外遠征も初めで、緊張感はありましたが、思いっ切りプレイできたと思っています。
今回はU-24ですが、着実にステップアップして、フル代表も狙いたい。オリンピックの種目になるなら、最終的にはそこを目標に精一杯頑張りたいと思います。5on5も、3×3も、SOMECITYも、どんどん新しい目標ができるので、欲張りながらとことん追求します!
あるときは①「NTT東日本東京」のユニフォームを着てボールを追い、またあるときは②SOMECITYのイエローコートに立ち、そしてまたあるときは③3×3 TOURNAMENT.EXEで優勝を果たす。そして、ワイルドカードで出場した④3×3 PREMIER.EXEで身に付けたのはピンクのユニフォーム。⑤ビジネスパーソンらしいジャケット姿も似合っているし⑥3×3男子U-24日本代表の勇姿と、まさに七変化。残るひとつはやはりムービースター!?……って、まだ言うか!……イケメン・ヤングボーラーの活躍を楽しみにしよう!!
2014年度 3×3男子U-24日本代表チーム
◆スタッフ
総括
石井 昭大(公益財団法人日本バスケットボール協会)
アドバイザリーコーチ
金澤 篤志(パスラボ山形ワイヴァンズ)
アドバイザリーアシスタントコーチ
岡田 卓也(静岡ジムラッツ)
◆選手
兼子 勇太(バスラボ山形ワイヴァンズ)
1991/8/26、22歳、F、189cm/77kg、東京都、拓殖大学
高倉 健(NTT東日本東京/平塚Connections)
1991/5/3、23歳、G、173cm/68kg、福岡県、東海大学
木下 真吾(大阪経済大学)
1995/8/26、18歳、SF、175cm/68kg、大阪府、大阪市立桜宮高等学校
谷口 達朗(プレス工業/UNDERDOG)
1990/4/1、24歳、F、190cm/86kg、岐阜県、法政大学
◆結果
日本 ●17-18○ 中国1
日本 ●17-21○ セルビア
日本 ●18-21○ アルゼンチン
日本 ●13-22○ ブラジル2
0勝4敗で予選リーグ敗退
◆順位
1位ブラジル1/2位フランス/3位セルビア/4位アルゼンチン/5位ブラジル2
6位ルーマニア/7位イスラエル/8位中国1/9位スロベニア/10位日本/11位中国2
文・羽上田 昌彦(ハジョウダ マサヒコ)
スポーツ好きの編集屋。バスケ専門誌、JOC機関紙などの編 集に携 わった他、さまざまなジャンルの書籍・雑誌の編集を担当。この頃は「バスケを一歩前へ……」と、うわ言のようにつぶやきながら現場で取材を重ねている。 “みんなでバスケを応援しよう!”を合言葉に、バスケの楽しさ、面白さを伝えようと奮闘中。