若手選手を牽引する島根の司令塔
「Bリーグ全体を見ると、やっぱり東地区に強豪チームが揃っているという印象がありますよね。Bリーグをおもしろくするためには西地区の、特にうちみたいに地方のチームが力をつけていかなきゃならないと思うんです」
そう語るのは島根スサノオマジックの山下泰弘だ。島根に移籍して2年目ながらチーム最年長(34歳)選手として伸び盛りの若手を引っ張る。
「僕はコントロールタイプのガードですから1番の仕事は周りを生かしつつゲームをしっかりクリエイトすること。うちは若い選手が多いのでいいときはその若さが勢いになりますが、いったん流れが悪くなると立て直すのが難しいんですね。みんながちょっと浮足立っているなと感じたら声をかけるのも自分の役目だと思っています」
気づいたことはタイムアウトやハーフタイムで必ず口にするようにしている。「コミュニケーションを取るのは自分より北川(弘)の方がずっと上手」と言いながらも若手選手への目配りは忘れない。「いえ、そんな大それたことではないんですけど、気持ちが落ちてるなあと感じる選手がいたらやっぱり気になるじゃないですか。ケガもそうですし、頑張っていてもなかなかプレータイムが伸びなかったり、そういうときの辛さはわかるんですよ。自分は決して平坦な道を歩いてきた選手ではないから、その分何か伝えられるものはあるんじゃないかと思っています」
なるほど…と思った後、ん?とひっかかったものがある。福岡県の北九州市で生まれた山下は地元の強豪・福岡大附属大濠高校に進み、2年次にはインターハイとウインターカップで準優勝、そこから関東大学リーグ1部の明治大に進み、卒業後はJBLの東芝(川崎ブレイブサンダース)に入団した。『平坦ではない道』というより、むしろ順調にキャリアを築いてきたように見える。
「まあ、そこだけ見ればたしかにそうなのかもしれないですけど」。山下の顔に苦笑が浮かぶ。「僕は大学のときにBチームに落とされてますから。言葉は悪いですけど “干された” 経験をしているんです」
東芝で培われた『人間力』
主力となったのは2年生から、意見の相違からコーチと激しくぶつかったのはその後のことだ。「今だったらもう少し広い視野を持って考えられたかもしれません。当時の僕はこうと決めたら譲らない頑固なところがあって、納得していないのに自分を曲げることができなかったんです。要は未熟だったということですが」。4年次にコーチと和解し、最後のインカレには出ることができたが、主要大会に出ないまま流れた時間は長く、気がつけば『トップリーグの選手になること』という目標は自分の中からはすっぽり抜け落ちていた。「そのころ考えていたのは仕事をしながらバスケットができる実業団チームに入ることです。幸運にも希望していた会社から内定をもらうことができて、バスケットを続けるにせよ軸足は仕事になるんだろうなあと思っていました」。ところがそのタイミングで届いたのは東芝からのオファー。福大大濠高の先輩である田中輝明(当時の東芝のヘッドコーチ)が高校時代の山下のプレーに注目し、以来ずっと気にかけてくれていたらしい。