Bリーグ第20節を終えた2月7日現在、東地区9位(9勝26敗)と新潟アルビレックスBBは厳しい戦いを強いられている。負けが続くとチームのムードも暗くなるのでは?と要らぬ心配もしてしまうが、納見は明るい口調で「そんなことはないですよ」と答えた。今シーズン島根スサノオマジックから移籍した納見は10月28日の川崎ブレイブサンダース戦でダブルダブル(12得点、10アシスト)の活躍を見せたが、その後のプレータイムは伸び悩んでいる。明るい顔の裏にはどんな思いがあるのだろう。
「たしかに結果は厳しいですけど、それで暗くなることはありません。うちは若手選手が増えてきたことでいい意味でのフレッシュさがあります。ベテラン選手の方々からはいいアドバイスもいただいているし、あとはチームとして何をやるか、何をやるべきか、チーム内でしっかりコミュニケーションを取っていけばこれから勝てるチャンスはもっと増えていくはずだと思っています」
答える顔にも言葉にも悲観的な匂いは微塵もなかった。苦しい状況だからこそ真摯に向き合う。逃げずに向き合っていけば今のマイナスが大きなプラスに変わることがある。それは高校、大学を通して納見自身が経験してきたことだ。
明成で1番怒られた男
神奈川県逗子市生まれ。父も兄もバスケットをやっており、5人制、3人制の日本代表選手として活躍した立川真紗美(JOMO→富士通)は従姉に当たる。立川が出場したアテネオリンピックを見たのは小学1年生のとき。「身近にすごいバスケット選手がいるってことは、やっぱりいろいろ影響も受けますよね」。より良い環境でバスケットを続けるために逗子を離れて横須賀学院中学に進学したのもその一つ。2年次に全国中学生バスケットボール大会に出場。3年の夏にはU16の合宿にも参加した。明成高校(仙台大附属明成高校)から声がかかったのはそんなときだ。「練習がすごい、きつい、つらいというのは聞いていましたが、レベルの高いところで自分を磨きたいという気持ちがあって(明成に)進む決心をしました」。結果から言ってしまえば、納見はそこでウインターカップ3連覇を経験し、2年、3年と連続で大会ベスト5に選出されることになる。当時のチーム中でもっとも注目を集めたのが八村塁(ワシントン・ウィザーズ)であることに間違いはないが、その相棒としてチームを牽引した納見のプレーに目を見張ったファンも多かったはずだ。冷静なゲームコントロールはもとより、得意の3ポイントやミドルシュート、身体の強さを生かしたドライブ、ピック&ロールで周りを活かす展開など攻守に渡る活躍は “マルチガード” の呼び名にふさわしいものだったと言えるだろう。
「多分、3年間で佐藤(久夫監督)先生に1番怒られたのは自分だったと思います。だけど、佐藤先生は自分を枠にはめようとはしなかった。明成はパッシングゲームが多いんですけど、ピック&ロールを使っても自分が攻め気で行っても良いプレーは評価して自由にやらせてくれました。怒られても、怒られてもめげなかったこと、その中で自分のプレーに自信が持てるようになったこと。明成ではたくさんのことを学びましたが、自分が得たもっとも大きなものはこの2つだと思います」
3年間の苦しみは4年目のためにあった。
「怒られても、怒られてもめげなかったこと」 ── 3年間で鍛えられたメンタルは進んだ青山学院大学でも試されることになる。新人戦の優勝とともに新人王受賞と幸先の良いスタートを切りながら、その後は自分のプレースタイルの確立に悩み続けた。
「1番(ポイントガード)で行くのか2番(シューティングガード)で行くのか、自分の役割にずっと迷いがあって、そのせいでプレーの質が落ちてしまったことに悩み、チームを勝たせられないことにまた悩み、青学に入ってからの3年間はそれまでの人生で1番悩んだ時期だったかもしれません」