「プロになる」夢から目標に変わった得点王
細川一輝がプロバスケ選手になる夢を持ちはじめたのは、本格的にバスケをはじめたのと同じ中学1年のときである。小学生の頃はバスケ以外にも、スキーやサッカーなど多くのスポーツを楽しんできた。中学進学時にバスケ一本に絞るとともに、「好きなものを生業にしたい」と、夢を追いはじめた。しかし、その後の学生時代において、全国大会への出場経験は一度もない。
全国でもその名を聞く一関工業高校だが、細川が在学中は岩手県2位でその壁を乗り越えることはできなかった。現実を目の当たりにすることで、夢は夢のまま薄れていくことの方が多い。しかし、細川は違った。「逆に大学に行って、この悔しさを何かの結果で晴らしたいという気持ちがありました。勝てなかったからこそ、大学でもバスケを続けようと思いました」とさらにバスケへの情熱を高め、プロへの夢も色濃くしていく。
毎試合20点以上をマークしていた一関工業高校のエースは上武大学へ進学し、プロになる夢も継続させた。しかし、当時は関東大学3部リーグであり、ここでもプロの網にかかるには難しい環境と言わざるを得なかった。1年次は「きついメニューでも全力でやることをモットーにしていました」と話し、試合に出るための努力を続ける。出場機会をもらえるようになった2年次からは「プロに行くならば、2部や1部にチームとして上がっていかなければいけないとも思っていました。そこからの3年間は、ずっと勝たなければいけないという思いで戦っていました」と明確な目標を定める。その言葉どおり、2年次は3部リーグを制して、2部への昇格を決めた。
3年になったばかりの春のトーナメントでは、細川にとって最初で最後となる1部の強豪、東海大学との対戦が実現する。「すごく調子が良かったんですよ」という細川はその試合を通じて、大学界でも負けていない手応えを感じた。勢いそのままに秋のリーグ戦では、昇格したばかりにも関わらず、平均20.2点で2部の得点王となった。漠然としていたプロバスケ選手になる夢が、「得点王になれたことで、本格的にプロになりたいと思えた瞬間でした」と目標に変わる。1部昇格こそ果たせなかったが、翌年も平均21.5点を挙げ、2年連続2部得点王に輝いた。しかし、細川が掲げていた目標はチームの勝利であり、1部昇格だった。「得点王になったことはうれしいですが、チームとしては勝てなかったので、正直言えばあまり意味がないのかなとも思っていました」と、最後の学生バスケは複雑な気持ちを抱いていた。
上武大学と同じ県内にある群馬クレインサンダーズの特別指定選手として、プロバスケ選手になる夢を半分叶えたのが昨シーズンのこと。そのままB2でルーキーシーズンを迎えるものだと思っていた細川だったが、「正直、ビックリしたのとうれしさの両方がありました」というミラクルが起きる。
B1の京都ハンナリーズからオファーが届き、「チャンスがあるならば、B1でやりたいと思っていたので、すごく良い話をいただけました」と最高の舞台で夢を実現させた。オファーが来た要因について、「GMの板倉(令奈)さんが玉川大学の監督でもあり、3部のときに対戦したこともあったので認識されていたのではないかと思います」と細川自身は考えている。どの舞台であれ、努力していれば必ず見てくれている人はいるものだ。