新潟アルビレックスBBを最後に、鵜澤潤はユニフォームを脱ぐ決断をした。2004-05シーズンのメルコドルフィンズ(現:名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)から数え、16年間もトップリーグのコートに立ち続け、キャプテンとしてチームを引っ張ってきた。ホームのアオーレ長岡で行われた涙の記者会見は感動を呼んだ。
長い長い現役生活を労いたく、リモートで乾杯しながらの取材を敢行。「今だから言えるけど──」という笑い話と、バスケに対する情熱が溢れる回顧録のはじまり、はじまり。
日本人ビッグマンの需要が急低下した新レギュレーション
2019-20シーズン開幕当初は、「新潟で少しでも長くユニフォームを着ていたいという気持ちが強かったです」。3年契約の最後の年であり、鵜澤は新潟との延長を求めていた。「もしかしたらチャンスがあるかもしれない」という期待と、「コロナの影響もあるし、来期のレギュレーションのことを考えたら覚悟しないといけないかな」という不安が交錯する。4月28日のリリースで契約満了の審判が下る。
「移籍よりも最初に頭を過ぎったのは引退でした」
4月の時点でそう覚悟を決めていたはずだったが、「家族や(五十嵐)圭さん、(柏木)真介など本当に仲の良いメンバーといろいろ話をするうちに、やっぱり選手を続けたいという気持ちも正直ありました」と、実はその後ももう少しだけもがいていた。現役続行できる道を探していたが、「現状は厳しかったです」。
今シーズンよりBリーグは3人の外国籍選手とは別に、アジア特別枠の選手(または帰化選手)を1人追加登録できる。このレギュレーションにより、「日本人ビッグマンの需要がグッと下がったのは事実です」と鵜澤自身が身を持って憂き目に遭う。
「新しいレギュレーションが採用されたひとつの要因として、各ポジションのサイズアップが狙いとしてあります。実際に世界を見渡せば、同じサイズで3番(スモールフォワード)がスタンダードであり、シュート力やハンドリング、パス能力を備えていないともう国内でも戦えないです。例えば、背が大きいだけで4番(パワーフォワード)や5番(センター)をやりなさい、と学生時代に言われるケースは多いですが、ポジションに縛られることなくスキルを身につけることが、Bリーグや日本全体のレベルアップにつながると思っています。もちろん4番や5番の外国籍選手と競い合って、ポジションを勝ち獲るのもひとつの手段です。それでもやっぱりシュート力などアウトサイドプレーヤーと同じスキルは必要になってきます」