part2「終盤の2試合には手ごたえを感じることができた」より続く
鈴木達也のキャリアを辿っていくと、1年ごとの成長がはっきり見て取れる。全国区とは言えない東京の保善高校から進んだ拓殖大学には、1年上に長谷川技(川崎ブレイブサンダース)、同学年に長谷川智伸(バンビシャス奈良)、1年下に藤井祐眞(川崎ブレイブサンダース)といった有力選手が揃い、その中で揉まれることで自信と技を身に付けていった。卒業後はbjリーグのバンビシャス奈良に入団。得点力があるガードとして存在感を発揮するが、なにより注目を集めたのは精度の高いパス力。味方を生かす柔軟で的確なパスで2年目、3年目のシーズンには連続リーグのアシスト王に輝いた。169cmの小さな身体にあふれる負けん気の強さは誰もが知るところ。Bリーグ元年に移籍した三遠でも着実なステップアップを見せ、メインガードの座を不動のものとした。
それだけにケガに泣き、苦しむチームを牽引できなかった4年目のシーズンは、振り返るたびに言葉にできない無念さがこみ上げるのではなかろうか。だが、そこにとどまっているわけにはいかない。来シーズンの三遠は新しくセルビアからブラニスラフ・ヴィチェンティッチヘッドコーチを迎え再起へのスタートを切る。チームの再建に尽力してくれたウラジミール・ヨヴァノヴィッチコーチが引き続きアドバイザーとして名を連ねているのも心強い限りだ。また、Bリーグ初のアジア特別枠としてフィリピンから24歳のSGサーディ・ラべナ(189cm/97kg)が入団するのもホットなニュース。来シーズンの楽しみが1つ増えたと言っていいだろう。泥沼のシーズンを味わった三遠は、新しい場所を目指して動き始めている。長いトンネルを抜けて目指す場所。「そこで全力でプレーする自分を今から思い描いています」と、鈴木は明るく笑った。
来シーズンどれだけできるかによって自分のキャリアは決まる
── ここからは少し今までのキャリアを振り返っていただきたいと思います。プロ選手としてスタートしたバンビシャス奈良(当時bjリーグ)で3年、Bリーグ元年に移籍した三遠で4年、それぞれ得たものについて教えてください。
まず、奈良での3年間はプロとして学ぶことがたくさんあったすばらしい時間だったと思います。そこから三遠に来て、最初に驚いたのはバスケットをする環境が非常に整っていることでした。
── 専用体育館はもちろん、ジャグジーまで設備されていますものね。
そうそう(笑)。さらに伝統があり、規律もしっかりした本当にいいチームだと思いました。奈良にいた3年間とはいろんな面で大きく違っていましたが、そこで1年目の僕はチームメイトに引っ張ってもらっていたなあと感じます。本当に周りに恵まれていました。バスケットのレベルもbjリーグと比べると高いと思ったし、同じポイントガードでも自分より身長が高い選手がほとんどですしね。身体のぶつかり合いも激しいので大変なことも多かったですが、技術もフィジカルもレベルの高い選手たちと競うことで自分のレベルも少しずつ上がっていったような気がします。