あれから2年――ポイントガードの彼と再会
まずは謝らなければならない。小生はbjリーグを得意分野としておらず、不覚にも編集者から彼の名前を聞いても、すぐにはピンと来なかった。bjリーグ初の高卒プレイヤー?ごめん、知らないなー。でも依頼が来たからには受けるのがフリーランスの第一義。2年前の冬、小生は岩手へと向かった。
当時話題だった「奇跡の一本松」が見られたらいいな。そんな思いもあったが、指定された体育館は内陸の雫石町。距離と時間を考えると、ちょっと見に行けそうもない。しかもタクシーの運転手に体育館の名前を告げても、こちらもピンと来ないようで、一度は目的地を通り過ぎてしまった。それでもなんとか辿り着き、さぁ、その日のテーマであるディフェンスについて質問を始めると、当時20歳の若武者は「バスケットにおいて大事なことはわかっているんですけど、はっきり言って好きじゃないし、不得意です」と言い放った。
<おいおい、編集者Aよ。ボクを岩手まで送り込んでおいて、いきなりのカウンターパンチを食らったぞ。どうしてくれるんだ!?>
そんなふうに思いもしたが、彼は苦手なディフェンスについて、それでも真摯な受け答えをしてくれて、チームメイトとともにデモンストレーションまでしっかりとおこなってくれた。おかげで誌面構成が崩れることもなかったし、当然、雑誌もしっかりと世に出すことができた。
ただ帰りがけに「今度はオフェンスの取材に来てくださいね」
そう言われたことをハッキリと覚えている。
あれから2年――当時、岩手ビッグブルズにいた澤口誠は、今シーズンからリーグに加入した青森ワッツにいた。しかも当時は2番ポジションだった彼が1番ポジション、つまり「チームの司令塔」とも呼ばれるポイントガード(PG)をやっているではないか。
プレイオフ進出を目前にした埼玉ブロンコスとの一戦(4月19日@さいたま記念総合)、どのようなゲームコントロールをするのだろうかと思っていた矢先、澤口はいきなりゴールに向かってドライブを仕掛けた。そしてマークしていたディフェンスを一瞬で振り切ると、ヘルプに寄ってきた長身の外国人にも臆することなく、体を預けていった。
そういえばあのとき、あまりにオフェンスが好きだと言うので話をそちらに向けたら、彼はこんなことを言っていた。「僕はドライブをどんどん仕掛けて、フリースローで得点を稼ぎたいんです」。たとえ目の前に屈強なセンターがいても、怖れることなく、飛び込んでいくのが自分の、小学生のころからのスタイルだと。ブロンコス戦のチーム初得点は、澤口のフリースローではなかったものの、持ち味である積極果敢なドライブから、ノーマークになった外国人へとアシストし、その外国人がダンクシュートを決めるという一連の流れだった。
青森が生んだ元PG 生み出す新世代のPG像
青森に移籍し、ポジションのコンバートを告げられた当初、澤口は「PG=周りを使う選手」というイメージが強かったという。しかし一方で澤口をPGに転向させた棟方公寿ヘッドコーチ(青森出身の彼もまたJBL(現NBL)のトヨタ自動車で活躍した名PG)の考えは違った。
「澤口は突破力があり、相手に向かっていく気持ちもチームで一番持っている。それはPGにとって大事な資質です。だからこそ彼をPGにしたし、今シーズンはずっと、たとえ内容が悪くてもPGで使い続けているんです」
つまりオーソドックスな、パスを供給するだけPG像を求めたのではない。澤口の持っている突破力と得点力を生かしたPGにしたいと考えたわけだ。
それはシーズンが進むにつれ、徐々に澤口にも浸透してきている。
「シーズンを通して、考え方が一番変わりました。今ではPGだからゲームコントロールをしなければいけないという考えがまったくなくなって、PGをやりながら自分でも点数を取って、プラス周りのチームメイトも生かそうと考えています。棟方さんからも、自分で攻めながら、周りをうまく生かせと言われていますし。それができているときは、自分でもいいプレイができているなと感じますね」
しかし、まだまだ修行中の身。いきなりできたかと思えば、次に攻められそうな場面で攻めず、すぐにベンチに下げられもした。そうかと思うと相手の外国人にぶつかりながらシュートを打つ、澤口が最も得意とするプレイを出したりもした。自分の持ち味とゲームコントロールをバランスよく、かつコンスタントに出すにはもう少し時間がかかりそうだ。
「最初のころよりはできているかなと思いますが、もうちょっと上を目指しながら、ポイントガードだった棟方さんからいろんなことを吸収したいと思います。もっといいプレイができるようになれば、自分自身ももっと変わっていけるのかなと思っています」
棟方ヘッドコーチも「修正をしながら、少しずつ考え方を伝えていきたい。判断力などは経験を積まなければできないものですから」と、澤口をじっくり育てるつもりのようだ。
2年前の取材は東日本大震災から日が経っていないこともあり(といっても10か月くらいは経っていただろうか)、釜石市出身の澤口のところに来る取材依頼はたいていがそれに関するものだったという。だから、たとえ苦手分野のディフェンスでも、バスケットのことで取材を受けられたことを澤口が喜んでいたと人づてに聞いた。それで少しは暗い気持ちが晴れたものだが、改めて彼のプレイを見て、彼はオフェンシブなプレイヤーだなと実感した。むろん一流のPGはディフェンスでもチームを引っ張らなければならないが、まずは持ち味のアグレッシブなドライブからゲームを組み立てられるPGに成長していってほしい。いま22歳。2020年の夏ごろは28歳か――可能性は限りなく広がっている。
三上 太