インカレは出場する4年生にとって学生最後の大会だ。次のステージでプロ選手になる者、教員となり後進の育成を目指す者、バスケットから離れ新たな仕事に就く者…目の前に続く道は分かれ、もうこの場所に戻ってくることはない。
白鷗大のキャプテン中川綸が選んだのは「バスケットを辞める」という道。ゆえに彼にとってこのインカレは最後の大会。大東文化大と戦った3位決定戦がバスケット選手として最後の試合となった。結果は80-90で敗れ4位で終了。中川の最後のスタッツは得点8、アシスト5、リバウンド2。27分38秒コートに立ち、懸命にボールを追ったキャプテンは「悔しいけど、今日は思いっきりバスケットを楽しもうと決めていたから、もう思い残すことはありません」と、明るい笑顔を見せた。
中川のこれまでのバスケット人生は『子どものころからバスケットに夢中になり、中学、高校と上を目指して頑張って来た』というストーリーとはやや異なる。
「そうですね。自分は中学でも高校でもバスケを辞めようと思った人間ですから」
神奈川県伊勢原市出身。幼いころから体を動かすことが好きだった。「いろいろやりたいスポーツがあって、サッカーをやってみようかなとか空手もおもしろそうだなとか。でも、実際やろうと思うとなんか面倒くさくなっちゃうんですね。バスケをやることにしたのは兄が中学でやっていたから。それでちょっと興味を持ってミニバスのチームに入りました。小学3年生のときです」。中学では迷わずバスケット部へ。東海大相模高校から声がかかったことで早々と進学先も決まった。「だけど、それからなんですね、ちょっとフラフラしちゃったのは。部活を引退すると時間ができるじゃないですか。自分はもう高校も決まってたし、卒業するまでは遊べるわけです。それで素行の悪い友だちとつるむようになって、学校にも行かずいろいろ悪さをするようになったんです。もしかすると、そのままズルズルと楽な方に流されていたかもしれません」。歯止めをかけたのは「これから高校でバスケットをすると決めたおまえがなにをやっているんだ!」という先生の言葉。「それで改心しました(笑)」。進んだ東海大相模高の練習は想像以上に厳しく、「とにかく監督がものすごく怖くて、こりゃ言うこと聞くしかないなと思ってやってるうちに自然と更生していた感じです。そういう意味では悪い道にはまらなかったのはバスケのおかげだったかもしれません」。それでも高校を卒業したらバスケットは辞めようと考えていた。「そしたら今度は原田先生がおまえは大学に進んでバスケをやれ。おまえはバスケをやるんだ!って言うんですね。言葉は悪いですけど半強制的っていうか(笑)」
辞めよう、辞めようと思ってもなぜかバスケットが自分を引き留める。「攻撃的なガードがほしい」と白鷗大からオファーをもらったときにはもう迷いはなかった。「また4年間バスケを頑張ろう」と心を決めた。