3度目のケガを克服し、新天地へ
2017年、Wリーグの移籍に関するルールが変わった。大雑把に書けば、それまではチームが認めなければ移籍はできなかったが、より「選手ファースト」の視点を持つべく、選手が希望すれば「自由契約選手」となり、他チームとの交渉・移籍もできるようになったのだ。
シャンソン化粧品シャンソンⅤマジックで4年目のシーズンを終えた河村美幸はその情報を聞いてから、次のシーズンに向けた気持ちの作り方を改めるようになった。むろんそれまでも高い意識を持って次のシーズンに臨んでいたのだが、ルール改正を知ってからはより熟考するようになったと言うのだ。次のシーズンもシャンソン化粧品で過ごすことが自分にとっていいのか、もしそれを決めれば、どのようにチームに貢献していくべきか。今まで以上にチームを思い、その中での自分に目を向けるようになった。
そして6年目のシーズンを終えた2019年、河村はトヨタ自動車アンテロープスへの移籍を決断する。
その決断はけっして簡単なものではなかった。なぜなら河村は6年目のシーズン開幕直前に右足の前十字靭帯を断裂していたからだ。その影響でシーズンを丸々棒に振らざるを得なくなる。学生時代を含めても、1年間ずっとプレーができなかったのは彼女にとっても初めての経験である。
「(2018年の)アジア競技大会に出発する数日前にヒザがカクンとなる状態があって、でもそのときは大丈夫という診断だったんです。その大会が終わってチームに合流したとき、軽い衝撃というか、単に5対5のなかでレイアップシュートを打ちに行っただけなんですけど、そのときに“パン”って……。ドクターから『今シーズン中の復帰は難しいだろう』と言われたときは、このままじゃ終われないって思っていたんです。シャンソンで復帰をして、次のシーズンも頑張ろうって。でもいざシーズンが終わって、次のシーズンのことを改めて考えたときに、年齢的にも25歳になるし、ケガをしたことで同じことを繰り返さないよう、心機一転、チームを変えて頑張ってみようと思って、移籍を決意しました」
チーム関係者だけなく、6年間応援してくれたファンもいる。その人たちのことを思えば、後ろ髪をひかれる思いもなくはなかったが、シャンソン化粧品に入って3度目の前十字靭帯断裂である。高卒ルーキーながら23試合にスタメン出場した1年目の終わりに左足のそれを、出場した24試合すべてでスタメンに起用された3年目の終盤には今回と同じ右足のそれを断裂している。どちらも無事にコートへ戻ってきたが、3度目も同じでよいのか。チームを変えることで何かが変わるかもしれない。河村はそう考えたわけである。
自由契約選手のリストに河村の名前が載れば、どのチームも放ってはおかない。なにしろ前記のとおり、日本代表にも名を連ねたことのある選手だ。しかも185センチの、生粋のセンター。中学時代こそ無名だったが、名門・桜花学園で基本を叩きこまれ、さらにその高さと腕の長さを最大限に生かす選手へと育て上げられている。トヨタ自動車ならずとも、即戦力としてすぐに来てもらいたいと考えるはずだ。