※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2018年5月末発行vol.21からの転載
大神雄子が現役を引退した。女子バスケット界に新しい風を吹き込み、常に先頭を走り続けてきた彼女の引退は、ひとつの時代の終焉を告げるかのようだ。しかしひとつの時代が終わっても、彼女が残した足跡は、次の世代の選手たちに間違いなく引き継がれ、また新しい時代を作っていく。ここではともにWNBA(アメリカ女子プロバスケットボールリーグ)でプレーした萩原美樹子氏と大神が女子バスケット界の過去・現在・未来を語った対談を掲載する。
── まずは大神さん、17年間の現役生活お疲れさまでした。
大神 ありがとうございます。
萩原 17年はすごいね。私が10年ちょっとだから、そう考えるとほぼ倍に近い。
大神 まぁ、上には上がいますけどね(笑。3×3の矢野良子選手は5対5だけで20年プレーした)。
萩原 すごいなと思うのは、当時のJOMO(現・JX-ENEOSサンフラワーズ)の練習を見に行くとシン(大神さんのコートネーム)はいつも何か新しいことに取り組んでいるの。「ちょっと今、こういうのをやりたくて」って。あれだけ長くプレーして、日本のトップにいるのに、行くたびに目をキラキラさせて「今、これができるようになりたくて」って、ストレングスコーチと2人で延々と自主練習をしている…あの情熱はちょっとすごいです。ああいう子ってこれまでいないと思います。
── ご自身が現役の頃もいなかった?
萩原 もちろんいなかったし、そもそも女子にそういう選手はいませんよ。「こういうプレーができたらかっこいいから練習してみよう」という感覚は、どちらかというと男の子の感覚に近い。女の子はいかに練習時間までを休むか……もちろんそれが悪いという意味ではないですが、普通はいかに温存するかを考えるんだけど、シンは練習前に力を使い切っちゃう(笑)。そうすると、こちらとしても「今度は何に取り組んでいるわけ?」とつい期待しちゃう。それは本当にすごい。たぶん、最後までそうだったんだと思います。
大神 そうですね。トヨタ自動車アンテロープスに入ってからも、そこは変わりませんでした。むしろトヨタに入ってからは食生活とか、睡眠学とか、そっちにも興味を持ち始めたこともあって、24時間の使い方がここ数年のテーマになっていました。それでもオーさん(萩原氏のコートネーム)が見に来てくれると、パッと「オーさん、見てください。今これをやっているんですよ」と見てほしくなるんです。「今アメリカではこんなことをやっているんですよ」って。
萩原 そうそう。
── 萩原さんというのは大神さんにとっても特別な存在ですか?
大神 そうですね。やはりWNBAが大きいです。オーさん以外にも素晴らしい先輩たちはたくさんいますけど、WNBAの生活は独特で、あの生活、あの環境を知っていることで安心して、身を預けてしまうところはありますよね。言葉、文化、環境すべてが日本とは違ったので、それをほかの人にわかってもらおうとは思わないですけど、オーさんはそれを知っている分、何かあるとオーさんに委ねたりすることはありますよね。
萩原 そうだよね。