※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2017年7月末発行vol.11からの転載
9月29日からBリーグの2年目のシーズンがスタートする。その中で注目を集めるのが横浜ビー・コルセアーズへの加入が発表された田渡凌だ。京北高校時代から日本の次代を担う選手として期待されるもアメリカ留学という道を選び、ドミニカン大学を卒業した今年の5月に帰国した。振り返れば回り道もあったアメリカの5年間、だが、どんなときも弱音は吐かず、「その場所、その場所で最大限の努力をしてきた」という自負がある。アメリカで得たもの、日本で生かしたいもの、この秋からプロ選手としてスタートを切るBリーグの“ニューフェイス”は持ち前のアグレッシブさを武器にさらなる高みを目指す。
── バスケットを始めたのは、何歳のときですか?
3歳のときです。でも、始めたっていうより、気が付いたらバスケをやってたって感じですね。父はバスケットの指導者(京北中学、京北高校監督)だったし、母も高校までバスケット選手だったし、6歳上の兄(敏信・埼玉ブロンコス)も4歳上の兄(修人・三遠ネオフェニックス)もすでにバスケをやってたから、日常の中にバスケがあって、もうそれが生活の一部だったみたいな気がします。子どものころは家の外にリングがあったので毎日そこでバスケしてました。兄と一緒にやるんですが、適わないから悔しくて体をぶつけたり、ボールをぶつけたりしていつもケンカになる。毎日バスケして、毎日ケンカしてましたね(笑)。遊び感覚といっても1対1になれば真剣だし、負けても負けても次は勝ってやるってムキになって。でも、そういう時間が楽しかったんですよ。そのころからバスケが楽しくてしょうがなかったです。
── お兄ちゃんたちはやさしかったですか?
いえ、もう兄貴風をガンガン吹かしまくりでしたね。買物に行っても荷物は全部「おまえが持て」って言うし、兄貴の権限をフル活用してました。何度「ふざけんな!」と思ったことか。でも、まあ(兄たちは)基本的にはやさしい性格なのでバスケを含めていろんな話ができるし、自分にとってすごくいい存在です。
── アメリカの大学に進学することを意識したのはいつごろですか?
アメリカというか、海外を意識したのは15歳のときです。U16の代表に選ばれてドイツで試合をしたとき、自分のプレーが思った以上に通用したことで「俺、海外の選手とやっても結構できるんだ。自分の最大限のパフォーマンスを発揮できれば世界でもやっていけるかもしれない」と思いました。それが最初ですね。ところが、U18に選ばれたときは全然試合に出してもらえなかったんです。で、そこから練習で努力に努力を重ねました。その努力が実を結んだ形でスタメン入りしたとき、自分は逆境というか、厳しい環境でプレーする方が成長できるんじゃないかと思ったんです。だったら世界で1番強いアメリカに行きたいと。そのときからアメリカの大学に進学することを意識するようになりました。
── それまでは自分の進路についてあまり考えてなかった?
そうですね。あたりまえみたいに京北中学から京北高校に進んで、体育の先生になりたかったから下の兄と同じ筑波大に進学したいなあとか、そういうのはありましたが、それは敷かれたレールの上を行く感じで、何が自分にとってベストなのか、どこへ行ったら1番いいのか、自分は何を1番大事にしたいのか、それをとことん考えることはなかったかもしれません。アメリカに行くことは自分が考え抜いて、初めて自分で決断した道でした。