part1より続く
NCAAからB.LEAGUEへ
シェーファーアヴィ幸樹が入学したジョージア工科大はマーク・プライスやステフォン・マーブリー、クリス・ボッシュらNBAプレーヤーを輩出したことのある大学であり、一方でアメリカの工科大学としては超名門の一つに数えられる学問的にも優れた大学だ。
アヴィはそこで勉強にもしっかりと取り組みながら、バスケットも少しずつステップアップしていこうと考えていた。体格こそアメリカ人には負けていないが、スキルとキャリアの少なさを考えるとすぐにNCAAのディビジョン1でプレーできるとは思っていなかった。「1年生のときはとにかくスキルアップに充てて、2、3年生で少しずつプレータイムを増やしていき、4年生になったらそれをしっかりと手にする」。4年という歳月をじっくり構えるつもりでもいたのだ。実際2年目は戦力の一人としてカウントしてもらえそうな位置にいた。しかしそこで大きな誤算が生じてしまう。
「2年目にトランスファー(転入)で来た子がその年からプレーできることになったんです。当初、彼はその年プレーができないと聞いていたんです。でも大学側がNCAAに掛け合って、プレーできることになってしまったんですね。完全に持っていかれたというか、彼が先発メンバーに入ったことで、3番手としてプレータイムをもらえる位置にいた僕はまた1年目と同じような練習で使うくらいの選手になってしまって……」
この出来事がアヴィに帰国することを決意させるきっかけとなった。もちろん1年生のときのように2年目もスキルアップに充てるという考え方もあるだろう。しかし1年目を終え、2年目が始まるまでの間に参加した日本代表活動で、アヴィは自身のプレーに引っ掛かりを覚えてしまった。
「1年間ほとんどゲームでプレーしないまま、夏の日本代表活動を始めたときは本当にダメで、久しぶりにバスケットをした感じになって、まったく動けなかったんです。試合勘がないというか……だから今年も同じポジションだとその繰り返しになって、来年もまた動けなくなってしまう。そうなると東京オリンピックに出るという目標が完全にダメになってしまうので、試合にちゃんと出られる環境というか、成長させてくれる環境じゃないとダメだなと思ったんです」
ファンダメンタルを十分に習得できていない状態で、試合で結果を出してきたことの弊害とでもいおうか。国際大会で一気に才能を咲かせたばかりに、その試合や大会から遠ざかったことで開いたかに見えた才能が急速に萎んでいく。アヴィはそこにある種の恐怖を感じ、新しい一歩を踏み出す決意をしたのだ。