※本記事はバスケットボールスピリッツのWEB化に伴う、2016年10月発行vol.2からの転載
「自分にはプライドとか野心とかがあまりないんです」── 。
のっけからそんな言葉が飛び出したので驚いた。だが、話を聞きながら次第にわかってきたことがある。原修太は今、自分のスピードで、自分のやり方で、プロ選手としての階段を上ろうとしているのだなあと。
「小学校のときはすごく強いチームにいたんです。でも、進んだ公立の中学校には最終下校時刻があって部活動にはそれほど熱心じゃなかったし、自分もだんだん部活より普通の学校生活が楽しくなっていきました。ただ相変わらずバスケは好きだったから、高校でも続けたいなとはぼんやり考えていました。習志野高校に進んで一応バスケ部には入りましたが、全国大会とかには全然興味がなくて、友だちが読んでる月バス(月刊バスケットボール)を横からちょっとのぞく程度。当時知っていたのは月バスに載っていたベンドラメ礼生と橋本晃佑ぐらいかな。それも礼生が『レオ』というのも知らなくて、ずっと『ベンドラメれいせい』だと思っていました(笑)」
大学でバスケットを続けるつもりはなかった。だが、引退試合を終えた直後、対戦相手の監督からこんな声をかけられる。
「君は大学でもバスケットを続けた方がいいよ。1部のチームは厳しいかもしれないけれど2部のチームならきっと活躍できると思うよって。それで何となくその気になって関東大学リーグ2部のチームを調べたら国士舘の名前があったんです。ちょうど高校で大学説明会というのが開かれて体育館に行ったらパッと『国士舘大学』というのが目に入った。ここなら指定校推薦で入れそうだし、よし、ここに行こうと(笑)。国士舘がどんなチームなのかも知りませんでした。試合を見たのは大学に入ってからです。スポーツ推薦ではない自分はBチームからのスタートだと言われていて、まあ4年生の最後にAチームのベンチに座っていられるよう頑張ろうとのんびり考えていました」
ところが、入学してすぐの合宿が終了したあと、「おまえはAチームに行け」というお達しが出る。
本人は「合宿のとき、たまたま調子が良かっただけなんです」と笑うが、決してそれだけではないだろう。やがて原はシューターとして頭角を現す。3年のリーグ戦では3ポイント王を獲得し、インカレ5位入賞に貢献。4年次にはユニバーシアード大会の代表メンバーにも選出された。
「将来もバスケットを続けたいと考えるようになったのは3年の終わりごろからです。多分、少しずつ自分に自信がついてきたんだと思います。バスケは大好きだし、もし声をかけてくれるチームがあったらプロとしてやってみたいと考えるようになりました」
その願いが叶ったのは昨年の12月、原はアーリーエントリー選手としてNBL千葉ジェッツに入団。この秋からはBリーグ千葉ジェッツのルーキーとして新たなスタートを切った。