強豪校はたいてい名の知れた選手がスタメンに起用されている。ここで言う「名の知れた」とは、けっして中学生のときから有名・有望だった選手だけを言うのではない。そのころは有名でなかったが、高校に入って頭角を現し、下級生のときから折を見て起用される選手や、地域でこそ名は知られていたが、高校に進むと上級生の壁をなかなか打ち破れず、最上級生になってようやく実力を発揮できる、傍から見ると「お、ようやく出てきたな」と思える選手も含む。
一方で、中学時代はまったくの無名、高校に進んでも下級生のうちはなかなか出番を得られなかったが、高校生活最後の年にいきなりスタメンに抜擢される選手も、多くはないがいる。そうした選手を見つけると、「ん? あれは誰だ? こんな子、いたっけ?」とつい目が向いてしまう。
洛南の浅野龍悟もそんな選手の1人だ。
中学バスケでは無名ともいうべき京都市立中京中学出身。ジュニアオールスターの京都府選抜にも選ばれていない。能代カップのプログラムにある洛南のメンバー表を見るかぎり――エントリー変更後も含めて――ジュニアオールスターに出場していないのは、浅野龍悟と、192センチの2年生センター、原田太一の2名だけ。そのなかで浅野はスタメンの、しかもチームのコントロールタワーともいうべきポイントガードに抜擢されたのだ。
「少し驚きの部分もあるけど、今年は1番が取れるんじゃないかとずっと思っていました」
浅野はそう言い放つ。
「自分がスタメンで使われているのは、長所であるスピードを速攻などで生かせるから。そこを買われているんだと思います」
174センチと大きくはないが、確かにスピードはある。むしろサイズで見劣りする選手はそうした武器がなければ、なかなか生き残っていけない。それでも能代カップのなかで突出したスピードの持ち主かといえば、失礼ながら、そうではない。
ではなぜ浅野が、竹内公輔(栃木ブレックス)や竹内譲次(アルバルク東京)、辻直人(川崎ブレイブサンダース)らを輩出した名門校のスタメンに抜擢されたのか。チームを率いる吉田裕司は、浅野のキャリアのなさを認めながらも、こう言っている。
「ゲームメイクをする粘り強さがある。自分が点を取ろうとするのではなく、チームプレーを組み立てようとする判断力を買っています。(浅野の存在が)チームが崩れないようにしてくれる1つの要因になっているんです」
中学時代から高いレベルのキャリアを積んできた選手たちは、それなりの自負を持って、高校バスケットに挑む。むろんポジションをコンバートされ、新しい役割を与えられる選手もいるだろうが、まずは自らの才能――主に得点力――を発揮しようと考える。それが手っ取り早くアピールできるポイントでもあるからだ。しかしそうした選手が5人集まっただけでは強いチームにならない。オフェンスにおいては自らを押し殺してチームメイトをコントロールする選手が必要になる。浅野は、キャリアこそないものの、下級生時代からそうしたコントロール術をコツコツと積み上げて、自らのポジションをつかみ取ったのである。
洛南が能代カップで敗れた2試合のうち、能代工業戦では吉田に買われていたコントロールをうまく発揮できなかった。試合後、浅野が文字どおり呆然としていたのはそうしたことからだったのだろう。ディフェンスの崩壊が一番の敗因としつつも、オフェンスの組み立てについても言及する。
「相手はけっして大きくなかったので、インサイドを突けば得点は取れたと思います。でもアウトサイドばかりになってしまって……自分がもっとコントロールして、ローポストにボールを入れていたら、流れは変わったのかなと思います」
ゲーム直後にそう振り返られるあたり、まだまだ伸びしろはありそうだ。
無名の中学生が洛南に歩を進めたのは、小学生のときに同校でプレーする比江島慎(シーホース三河)を見て、憧れを抱いたからだ。また中学の顧問が洛南出身ということも彼の背中を押した。
そうして今、浅野は憧れの比江島が2年生のときにつけていた背番号9を背負ってコートに立っている。
「全国トップクラスになるとポイントガードでもフィジカルが強いし、離れた距離のシュートも打ってきて、しかも入れてきます。そうした今まで自分が経験したことのない相手とマッチアップしなければいけないのでディフェンスをもっと強化したいです」
チームの流れがよくないときに確実に決められるシュート力も身に着けたいし、能代工業戦で露呈したセーフティの位置取りの甘さなど、ポイントガードとしての基本的な役割も、そのキャリアに積み上げていかなければいけない。課題は山積だ。
「毎日、こんな全国レベルの相手と対戦できるのは全国大会か、この能代カップしかありません。今日は負けてしまったけど、明日も2試合あるし、どちらのポイントガードもレベルが高いので、今日の反省点を修正して、明日また挑んでいきたい」
話を聞いたのは2日目の能代工業戦の後。その時点で2勝1敗だった洛南は最終日、明成にこそ敗れたが、市立船橋には勝って通算成績3勝2敗、2位で能代カップを終えた。
無名だった浅野の全国的なキャリアのスタートとしては上々といえよう。
しかし憧れの先輩はウインターカップ3連覇の立役者でもある。そんな先輩に少しでも追いつくためには、まだまだ知らない世界をどん欲に知っていく必要がある。時間はけっして多くないが、これまでどおりコツコツ積み上げていくしかない。
それから約一か月後――。
洛南は東山に敗れ、インターハイ出場を逃した。スタッツを見るかぎり、相手の留学生を抑えきれなかった(38失点)が響いたようにも見えるが、洛南も得点が伸びなかった(57得点)。浅野も司令塔として省みるところが多いのではないか。
しかし憧れの比江島センパイが成し遂げたウインターカップ3連覇のころから、いつしか同校は“冬の洛南”と呼ばれるようになった。夏の悔しさをしっかりと冬に昇華させればいい。
そのセンパイも今月末におこなわれるワールドカップ第一次予選の大一番に向けて、準備に余念がない。
今はともに前を見て、やり続けるだけだ。
文・写真 三上太