「自分のピークはこの先にある」(竹内譲次)
竹内譲次について多くを語る必要はないだろう。洛南高校時代から大型オールラウンダーとして将来を嘱望され、長きに渡って日本のバスケットボール界をリードしてきたのは誰もが知るところだ。日立サンロッカーズ(現サンロッカーズ渋谷)の大黒柱として君臨し、2015年には初の天皇杯優勝を達成した。
その彼がアルバルクへの移籍を決めたのは2年前。『ミスターサンロッカーズ』の電撃移籍は大きな話題を呼んだが、本人は当時、その理由についてこんなふうに語っていた。
「Bリーグ発足までに実に多くの人が尽力する姿を見てきました。そんな中でアルバルクからお話をいただいたとき、心が動かされたのは勝利に向かう“熱„です。このチームが優勝する絵が浮かんできて、自分もその中にいたいと思いました。このチームで一緒に優勝したいと思ったんです」
アルバルクで2年目を迎えた今シーズン、就任したパヴィチェヴィッチHCの指導は予想に違わず、いや、予想以上に厳しいものだった。常にパーフェクトを求めるコーチに必死で食らいついて行くのは若手もベテランも同じだ。が、竹内は「それはチームが勝つために必要なことであり、辛いとは思わなかった」と言う。
「ヘッドコーチは僕にいろいろ話をしてくれるんですが、その中にカール・マローンの話があって、『カール・マローンは35歳ぐらいのときキャリアのベストを迎えたんだ。だから、おまえもまだまだこれから伸びていける。そのために大事なのは毎日しっかり(練習を)やり続けることだ』と。ルカさんは選手をやる気にさせるのがうまいんですよ(笑)」
そう笑いながらも、コーチの言葉を信じる自分がいる。大事なのは毎日の練習、目標を持ってそれを積み重ねること。
チャンピオンシップのセミファイナルで死闘を演じたシーホース三河、そして、頂上決戦となった千葉ジェッツには、桜木ジェイアール(三河)、マイケル・パーカー(千葉)という帰化選手がおり、その存在は両チームのアドバンテージになっている。竹内が担ったのはその2人とマッチアップし、それぞれのアドバンテージを“消す„ことだった。ゴール下で身体を張り、激しく競り合い、相手に打ち勝つ。竹内はこの容易でない仕事に怯むことなく挑んだ。
その心境は「コートに立ってスイッチが入るというのとは違う」と言う。「なんて言うか、自分たちがこの10ヶ月やってきたことを信じられたということだと思います。自分たちはここで勝つだけのことをやってきたという自負がありました」。言い換えればそれは「俺はここで競り負けるような練習はしてこなかった」という竹内自身の自負だ。33歳となった今、後ろには有望な若手選手たちの姿があるが、負けるつもりはない。カール・マローンを例に出さずとも、竹内の内には静かな自信がある。
「自分はまだまだ伸びていけると思っています」
文・松原貴実 写真・吉田宗彦