東海大学九州の一員として、1年生のときから4年連続でインカレに出場し続けてきた林翔太郎選手。関東のチームに所属する選手がほとんどを占めるユニバーシアード日本代表チームや学生選抜チームにおいて、候補選手ながらこれまでも選出されてきた。昨年の日韓定期戦である李相佰盃では日の丸を背負ってもいる。関東の選手たちとも顔なじみであるからこそ「負けたくないという気持ちが強い」。だが、過去2年間はその気持ちが空回りするように、ベスト8を懸けた関東勢との対戦はいずれも4点しか挙げられず、チームも敗退している。その前の試合では20点近くを獲っていただけに、本来の実力を出し切れずに悔しい思いをしてきた。
なぜ、4点しか挙げられなかったのか……林選手は真剣に自問自答したそうだ。
「このチームの中で自分が一番、関東を意識し過ぎていました。そこで舞い上がったり、ビビってしまっている部分があったんだと思います。今年は常に強い気持ちを持って一つひとつのプレーでチームを引っ張っていくことを意識しています」
初戦の相手は、林選手の地元を代表して出場してきた北海道教育大学岩見沢校。4度目のインカレにも関わらず、やっぱり初戦は「緊張してしまいました」というのが正直なところ。だが、旭川大高校時代の後輩など地元の選手たちとの対戦に、「少しずつ楽しくなっていきました」と話しており、実際コート上では笑顔も見られていた。林選手自身は15点を挙げ、71-47で快勝し、幸先の良いスタートを切ることができた。
シュートが入らなくても打っていこう
越えなければならないベスト8の壁に立ちふさがるのは関東3位の大東文化大学。モッチ・ラミン選手と毕光昊選手と2人の2mを擁する強敵だ。試合前、「オフェンスリバウンドやインサイドでやられてしまうと自分たちは太刀打ちできなくなります。そこをしっかり守ることが大事になるとともに、自分たちはディフェンスから速攻を出すチームなのでその持ち味を出せるようにしたいです」と語っていた。
迎えた前半は全員でリバウンドを獲りに行き、相手の高さに対応していく。4点しか獲れなかった昨年までについては、林選手自身よりも仲間たちの方が心配してくれていた。「ここまで来たら4年間やってきたことを全部出し切るしかない。シュートが入らなくても打っていこう」と吹っ切れたことが功を奏し、前半ですでに7点を挙げた。その活躍もあり、39-37と2点リードして折り返す。
「後半に関東のチームが強いことは僕たちも重々知っていました。ハーフタイムには、みんなでもう一回気持ちを引き締めようと言って後半に入りました。でも、ゴール下や3Pシュートで簡単にやられてしまい、なんとしてもここはつなぎ止めないと20点差まで引き離されてしまうと思ったので、自分が積極的にドライブを仕掛けて行こうと思いました」
気迫のこもった連続ドライブでゴールをねじ込み、相手が引けば3Pシュートを決めていった。だが、「相手の91番のシュートが入り出し、さらにインサイドで押し込まれてファウルが混んでしまって、積極的に守れない状況が続いてしまった」と元炳善ヘッドコーチは第3ピリオドを振り返った。一進一退で対抗していたが毕選手にインサイド、91番のビリシベ実会選手に次々とアウトサイドシュートを決められ、引き離されていく。
2mの選手たちにもマッチアップしていた林選手が、「身長もそうですが体格が全然違い、押し込まれるのはしょうがない部分もありました」と踏ん張ることができなかった。第3ピリオドを終え59-70。林選手自身もすでに4つのファウルを犯している。11点差を追いかける東海大学九州はがけっぷちに立たされていた。
それでも気持ちで引くことなく、果敢に攻めていった林選手の姿勢はこれまでとは違う。勝負の第4クォーターも反撃するためのドライブを決めた。だがその直後、コートに倒れ、顔を手で覆ったまま起き上がれない。鼻を打って出血し、頭も打っていたために担架で運ばれて行った。誰もが、林選手の4年間はこれで終わったと思ったことだろう。
だが残り3分、止血をした林選手は再びコートに戻ってきた。
強化点は『個人技とシュート』これはバスケットには絶対に外せない技術
「練習がきつすぎて死ぬほど辞めたかったんです。うちの部活が日本で一番きついと言っても過言ではないし、その自信はあります(笑)。元先生に怒られたときは『なんでこんなに言われなくてはいけないんだろう』『なんで俺がこんなに怒られるんだろう』っていう思いがずっとありました。だけど、今終わってみれば、最終的には自分が成長するために怒っていただいたことが分かります。もっと早くに気付ければ、もっと成長できたのかなと今では後悔しています」
4年間の大学バスケットの歴史を逆戻しするように振り返ってくれた。
「うちは選手たちの能力が高いというわけではない。それぞれの選手たちが役割をきちんとやってくれないと勝つことはできない」というところから元ヘッドコーチの強化がスタートしている。指揮官が重要視しているのは、「何がなんでも個人技とシュート。これはバスケットには絶対に外せない技術」と持論を唱えた。高校時代は無名の原石たちをリクルートし、彼らを磨き上げるために容赦はしない。
「個人技を含めてみんなよく成長してくれたし、それは私にとっては逆にありがたいことです。最後にもう一歩乗り越えてくれれば良かったんですけどね。でも、本当に選手たちは成長してくれました」
成長の成果は結果として示すことはできず、大東文化大学に71-89で敗れ、今年もベスト8の壁を破ることはできなかった。「プラン通りには全然噛み合ってなかったし、11番が全くの誤算だった」と元コーチは自チームの選手を背番号で呼び、敗因を挙げる。
「11番がもう少しやってくれたら佐竹(宥哉)や林、長野(誠史)がもっとラクにプレーすることができた。今までできていたプレーが全くできず、予想とは違ってしまった。緊張したのかもしれないけど、そこが誤算だった」
11番の趙漢辰選手はまだ2年生と若い。辛い経験となったが過去2年間、4点しか挙げられなかった林選手にとっては、趙選手の気持ちは痛いほどよく分かっていた。
「自分も昨年、一昨年と先輩たちに迷惑をかけてきました。アイツは良くも悪くもどこか自分に似ている部分があります(笑)。この経験を生かして、来年は自分たちが達成できなかったベスト8に入れるようにアイツにはがんばって欲しいですね」
趙選手は今、『なんで俺がこんなに怒られるんだろう』と思っているかもしれない。でも、それは元ヘッドコーチの期待の裏返しである。「シュートもあり、ドライブもある選手。こんな選手ではない」とその実力を認めていた。
東海大学九州出身Bリーガーたちが与える大きな影響
元ヘッドコーチが4年間、手塩にかけて育てた選手たちは、すでにBリーグのクラブから声がかかっているそうだ。林選手に対しては将来を見据え、ときにはポイントガードを任せたり、ファーストオプションとして「行ける時には全部行け」と積極性を植え付けていた。林選手も「そんなことを言ってくれる監督は滅多にいませんし、そこはありがたく思っています」と感謝している。
川崎ブレイブサンダースの小澤智将選手ら、Bリーガーとして活躍するOBの影響も大きい。「試合に出て、あれだけアグレッシブにディフェンスをして退場する姿が見ていてカッコいいなって思いました。退場することって滅多にないことですからね」と林選手は真顔で話し、退場する姿さえ刺激を受けていた。
地方の大学でも十分に選手たちを成長させることができ、Bリーグにも輩出できることを証明して見せた。今後はさらなる好循環にも意欲的である。
「Bリーグに行く選手が出てくることで、東海大学九州により良い選手が来てくれることにもつながると思っています。地方の選手たちが希望を持ってまたうちに来てくれれば、どんどん育てていきたい。そうすることで地方の大学でも強くなるという気はしています。それこそが日本のバスケット界のためにもなる。そうなれば良いかな」(元ヘッドコーチ)
一つひとつ歴史を積み上げている東海大学九州はこれからが楽しみなチームである。元ヘッドコーチも、「幸いにも強くなったことで、来年にはうちを選んでくれた良い新入生が入ってきます」と言っていた。来年こそベスト8を乗り越えるためにも、日本一厳しい練習はすでに始まっているかもしれない。
東海大学九州OBのBリーガー
小澤智将(川崎ブレイブサンダース)
高濱拓矢(山形ワイヴァンズ)
川満寿史(福島ファイヤーボンズ)
谷里京哉(仙台89ERS)
文・写真 泉 誠一