ドンピシャのタイミングだった3部降格
Bリーグが誕生して3シーズンが経つ。ファーストシーズンから設けられた特別指定選手制度を唯一、3年連続行使したのが法政大学の中村太地だ。この制度は卒業を控えた最上級生だけの権利ではない。「1年ごとに違うチームでプレーできる」メリットを強調する。21歳ですでに3チームを渡り歩いた特別指定選手の達人だ。
Bリーグ元年、中村は法政大学に進んだ。本来であれば関東大学1部リーグで活躍するはずだったが、入学前の前年に2部へ降格。負の連鎖は止まらず、その年も入替戦にまわり、勝ち切れずに3部まで落ちる。どん底状態にいた中村の頭上に垂れてきた糸が、特別指定選手制度だった。「ありがたかったです。ドンピシャのタイミングでしたね」と藁をもつかむ思いでプロの世界へと飛び込んでいく。
「トライアウトを受ける感覚に似てる」と中村が言うように、1年生にとっては自らが動かなければはじまらない。当時の塚本清彦監督や、大学だけではなく福岡大学附属大濠高校のOBなど最大限の伝手を使って受け入れ先を探す。手を差し伸べたのは、法政大学のOBでもある鈴木貴美一ヘッドコーチ率いるシーホース三河だった。
2016-17シーズンの三河はぶっちぎりで西地区を制した。当時は福岡大学附属大濠高校の先輩である橋本竜馬(現・琉球ゴールデンキングス)がおり、比江島慎(現・栃木ブレックス)がエースとして君臨。「日本代表選手がいっぱいいたし、小さい頃から天皇杯決勝をテレビで見て憧れていたチームに自分が入って、どこまでできるかを試したかった」。1試合しか出場機会はなかったが、それ以上に「練習が楽しかった」と刺激的な日々を送る。
「いきなりマッチアップしたのが橋本さんや比江島さんでした。練習中は3チームに分かれ、僕はCチームなので必然的にマッチアップできる。それが楽しくて仕方なかったです。ボコボコにされましたけどね。プロはこういう世界であり、このレベルでやらなければいけないんだなということを肌で感じました」
関東3部リーグでは当然飽き足らず、翌年もプロチームに潜り込む道を探す。2シーズン目は「もしかしたらプレータイムがあるかも」と期待し、中地区の残留争いをしていた富山グラウジーズに加入した。ワールドカップ・アジア予選に向け、日本代表の宇都直輝が不在になる期間も多く、練習中は代役を担うこともあった。「練習中は良いアピールをできていたとは思いますが、宇都さんは平均約35分出場する中心選手であり、なかなか難しかったです」と三河と同様、コートに立つ機会を与えられたのは1試合に終わった。